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その後の甘い話 『庭師のテツの独り言』 18
「雄一郎さん、今日は海里さんの仕事に行ってもよろしいですか」
「あぁもちろん。あの洋館の庭は素晴らしかっただろう」
書斎で仕事をしていた雄一郎さんが、顔をあげて満足そうに微笑んだ。
「えぇいい庭ですね。しっかり手入れしていきます」
「そうしてくれ。全部テツに任せたからな。そうだ、お前は忙しくなりそうだから、屋敷に一人庭師見習いでも雇ってやろうか」
「確かに……師匠も、もう高齢です。助手がいたら助かりますね、何しろこの屋敷は広すぎますよ」
「……お前の師匠も年内で定年だ。新しい使用人を雇うから、お前の弟子にするといい」
思ってもいない話だった。正直、海里さんの館の手入れと、元々の仕事を掛け持ちするのは、流石の俺でも重労働だと懸念していたので助かるな。
「ありがとうございます」
「早速、手配しておくよ」
去ろうと思ったら、呼び止められた。
「そうだ……海里は元気だったか」
特別仲の良いご兄弟ではないが、やはり気にしているのだろう。
「いえ、まだ会えていません」
「そうか、じゃあ白雪姫には会えたか」
また白雪姫……?
「いや、いませんでしたが、いい助手には会えました」
「助手? あの屋敷に人を雇う余裕なんてあったのか、不思議な話だ」
「そうですか。とても働き者の若い青年です」
「ふぅん? まぁいい。白雪姫に会ったら伝えてくれ」
「……はい、何と?」
「スコーンと紅茶を、またご馳走になりたいものだ。とても美味しかったとね」
「はぁ、そうなんですね」
「海里は幸せ者だよ」
この前から何度も口にする『白雪姫』とは?
あぁそうか。やっと合点がいった。
白雪姫は海里さんのお嫁さんの比喩か。きっとおとぎ話の姫のように美しい女性なんだろう。
まぁ俺みたいな一介に庭師には、想像も出来ない世界だ。それより俊敏に働く可愛い助手・柊一に会う方が楽しみだ。
****
「テツさん!おはようございます!」
朝、白薔薇の屋敷に到着すると、柊一が既に下準備を始めていた。
彼の服装は……今日は大きな帽子に長袖のシャツ、長ズボンだ。
「くくっ、なんだその格好。男のくせに日焼けを気にしているのか」
「あっすみません。その……約束をしたので」
誰と? とは聞かなかった。本当は少し気になったが俺は元来、人に関心がないはずだから余計なツッコミだろう。
「まず何をしましょうか。あ、言われたことは昨日全部やっておきました」
「頑張ったな」
「ありがとうございます!」
秘密の庭園の整備は順調に進んでいた。枯れた草木を取り除いて、土を耕し入れ替えるだけでも重労働だったろうに。
柊一という、この家の書生(勝手にそう呼ばせてもらおう)は、かなりの努力家だ。
「テツさん、テツさん!」
柊一は、やはり少し故郷の弟と似ているな。
こんな風に、俺はいつも弟に頼りにされていた時期がある。
懐かしい……
しかし季節は夏だ。少し動くだけでも汗が流れ落ちる。
「テツさん、檸檬水を作ってあります。お好きな時に飲んで下さいね」
「檸檬水? へぇ洒落ているな。これも白雪姫の差し入れか」
「え、白雪姫って?」
「いや、こっちの話だ」
「あの、僕も少し水分を取らせてもらっていいですか」
「あぁよく飲んでおけ」
柊一はすぐに水は飲まず、まず庭の水栓で丁寧に手を洗い出した。
石けんまで使って、随分マメだな。
汚れた手のままグラスの水をゴクゴク飲み干しながら、彼の様子を伺うと、手洗い後、ズボンのポケットから何やら小さなクリーム缶を出して、指先に丁寧に塗り出した。
なんだ、それ?
「おい、手でも怪我したのか」
「あ、いえ……すみません。男の癖に変ですよね」
「いや、人それぞれだから別に気にしない。だが……君には日焼けしたり、手に傷でもつけたら泣くような、心配性な恋人でもいそうだな。ははっ」
俺は笑い飛ばしたが、柊一は頬を染めて俯いてしまった。
柊一は、恋人に愛されている。
深く優しく海のように広い心で。
それが俺にも、よーく分かった。
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