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その後の甘い話 『庭師のテツの独り言』 20

「海里さん!」  テツと別れ、急いで白薔薇の屋敷の門を潜ると、そこには柊一が待っていてくれた。  彼はツバの広い帽子に長袖シャツ、長ズボンと、朝見送ってくれた時と同じ格好だった。  待ちきれない表情で帽子を脱ぎ捨てながら駆け寄り、両手を開いて抱きついてくれた。 「お帰りなさい!」  背伸びした細い躰を、俺も抱きしめる。  あぁ可愛い人だ。 「どうした?」 「すみません。甘えて」 「いや嬉しいよ」  嬉しいに決まっている。  俺だって君に会いたくて、駅からの道を走ったのだから。  何故だろう。  柊一と暮らす屋敷も平穏な日々も手に入れたのに、片時も君の傍を離れたくない。  1分1秒も無駄にしたくないと思うのは……  俺と柊一が共に過ごせる時間は、まだまだあるはずなのに。 「海里さん、お疲れ様です」 「柊一こそ、今日はずっとテツの手伝いを?」 「はい、とても捗りました。あの……整備したお庭を、ご覧になります?」 「いや、先に君の顔を見せてくれ」 「……汗臭いですよ。土もついているかも」 「いや、そんな事はない。お日様の匂いと石鹸の匂いがするぞ」 「あ、手を洗ったばかりなので。海里さんからは消毒液の匂いがしますね。お医者さまらしいです」 「悪い。まだ匂うか」 「好きです、華やかなオーデコロンの香りも、お仕事帰りの匂いも」  君は躰を一旦離して、面映そうに微笑んだ。 「嬉しい事を……どれ?」  柊一の頭を抱き寄せ、うなじに触れた。男にしては細い首、吸い付くようなきめ細やかな肌を確かめるように撫でた。 「アッ…」 「柊一は言いつけを守れたね。日焼けしなくてよかった」 「はい、テツさんに揶揄われましたが、約束を守りました」 「テツは君を褒めていたよ」 「嬉しいです。まるで庭師の見習のように、分け隔てなく接してもらっています」 「ハハっそうか、アイツは実直なんだ」 「分かります」  俺は柊一の手を取り、指先も確かめると、綺麗に洗ったばかりらしく清潔な匂いに包まれ、しっっとりとしていた。 「いい子だね。手洗いの度に保湿もしてくれて」 「はい、海里さんの肌を傷付けたくないので」  えっ……  まったく君には参るよ。  いつだって自分より周りの人の事ばかり、優先させて。  もっともっと自分を大切に、いや、俺が大切にしてやりたい人だ。  白薔薇の館の当主は、どこまでも健気な青年だ。  愛しくて堪らない俺の恋人。  そのまま柊一の手の甲に、恭しく口付けを一つ落とした。  もう一度懐深く抱きしめ、顎を掴んで唇を重ねていく。 「あ…こんな場所で」 「大丈夫、こんな時間に誰も来ない」 **** 海里さんと別れて数歩歩いた所で、道端に落ちた美しいハンカチを見つけた。 手に取れば、見覚えのある森宮家の家紋とイニシャルが刺繍されている。 なんだ、海里さんのじゃないか。 今すぐ追いかければ渡せるか。 それとも土曜日でいいか。 俺は少し迷った末、歩き出した。

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