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その後の甘い話 『庭師のテツの独り言』 23

「海里さん……あの」  ほろ酔い気分で赤ワインを飲んでいると、エプロンをつけた柊一が躊躇いがちにやってきた。 「どうした?」 「あの赤ワインのグラスが空いていたので。お代わりはいかがですか」 「あぁ頼む」 「実は……おすすめのワインがあるのですが、セラーの上の方にあって」 「あぁ俺がとってあげるよ」 「ありがとうございます! すみません。テツさん、ちょっと海里さんをお借りしますね」  律儀な挨拶に、思わず吹きそうになってしまった。  おいおい、海里さんは柊一のものであって、俺のもんじゃないぞ。  二人の姿が消えると、柊一の弟がニコニコと隣にやってきた。柊一によく似た顔だが、性格はだいぶ違うようだ。 「庭師のテツさん、さっきは驚かしてすみません」 「……別に驚いてない」  よくもまぁ、あそこまで気づかないとは、俺、鈍感すぎだろうと、恥ずかしくはなったが。 「でもテツさんは、兄さまを庭師見習いとか書生だとか、勘違いされていたのではないですか」  図星だ!  まさかこんな小さな子供に見破られるとは…… 「なんで、それを知って?」 「あはっやっぱりそうなんですね。さっき兄さまと海里先生の接吻を見て、腰を抜かしていらしたので、もしかしてと……」 「ははっカッコ悪いな」 「いえ、でもその後、素知らぬふりをして下さったのが嬉しかったです」 「そうか」 「はい、僕の兄さまはとても恥ずかしがり屋なんです。だから……」 「それは分かる」  確かに、あそこで俺が大げさに驚いて騒いでは、柊一もいたたまれなかっただろう。卒倒してしまうか、逃げ隠れて部屋から出てこなかったかもな。  そうしたら……美味しい食事にもワインにもありつけなかっただろう。 「そういう君は平気なのか」  実の兄が、男同士で接吻をしているのを見ても動じていなかった。だが君くらいの年齢だと思春期、反抗期で嫌悪感を抱いても不思議でない。 「海里先生と兄さまのご関係が、世の常ではない、普通ではない事は、僕も理解しています」 「そうか。それなら良かったよ」 「はい、兄さまにを幸せに出来るのは、絶対に海里先生しかいません」 「そう言えば……どうして海里さんを『先生』と?」  確かに海里さんは心臓外科医だが…… 「それは、僕の主治医の先生だからです」  なるほど。この可愛い坊やが恋のキューピットか。 「それで海里さんが柊一と巡り合ったのか。それって確か最近の話だよな?」 「いえ……実は僕は小さい時から心臓の病気を抱えていて……3歳の頃、夜中に倒れた時に瑠衣が海里先生を呼んでくれたのがご縁でなので、知り合ったのはもっと前になります」  瑠衣? 今、瑠衣と言ったのか。 「おい、瑠衣って、まさか……霧島瑠衣《きりしまるい》の事か」 「あぁ瑠衣の名字はそう言えば霧島でしたね。いつも瑠衣としか呼ばないから」 「瑠衣はこの家とどういう関係が」 「わぁ……嬉しいです! テツさんは瑠衣もご存じなんですね」 「あぁ同じ屋敷で育ったからな(同じ使用人として……)」 「瑠衣はこの家の執事でした。僕が産まれた時からずっと、僕と兄さまの面倒もよくみてくれて、僕たち兄弟は、瑠衣が大好きです」  そうだったのか。  瑠衣……お前、こんなに近くにいたのか。 「それで、彼は今はどこに? もしかしてこの屋敷にいるのか。ぜひ会いたい!」  本心だった。あの日のあの姿……惨い記憶を上書きして欲しい。 「残念ながら、瑠衣はもうここにはいませんよ。英国で幸せに暮らしています」 「幸せに?」 「はい、最高に!!」  柊一の弟の満面の笑みを見て、やっと安心できた。  幸せになった姿をこの眼で見たかったのに、薄情な奴だ。 「いい話を聞いたよ。今日はいい事尽くしだ」 「テツさん、これからも兄さまに対して変わらず接して下さいね」 「いいのか。彼はこの家の当主で海里さんの大切な人だ。無下に扱っては、まずいんじゃ」  さっきからの戸惑いはここだ。次に柊一とどんな顔をして会えばいいのか。どんな態度を取るべきか迷っていた。   「それはですねぇ……テツさんが、兄さまをいつものように庭師の見習いのようにしごいて下さると、実に塩梅がいいです」 「は? それ、どういう意味だ?」  弟はくすぐったそうに笑った。 「そうすると……兄さまは疲れて甘えん坊になります。まぁ夫婦円満の秘訣でしょうか。くすくすっ」  くくく、ませた事を。  だが正直、俺もその方が助かる。  機敏に働く君との庭仕事は、楽しいからな。  それに、今更……敬語で主人として接するのは照れくさい。 「そうさせてもらうよ。これからも」 「兄さまの事、よろしくお願いします。あと父様と母様の遺されたお庭も……」 「あぁ任せておけ。おとぎ話に出てくるような庭園にするつもりだ」 「わぁ……楽しみです!」  

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