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庭師テツの番外編 鎮守の森 20
目の前でテツさんは筋肉隆々の逞しい裸体を惜しげもなく晒し、湯船にドボンっと豪快に浸かった。
テツさんの日に焼けた明るい短髪からは、雨の滴が滴っていた。
おれの前髪からもポタポタと垂れ……全身がぐっしょりと濡れていた。
テツさんの言う通り、おれたちは男同士だ……何をそんなに意識する?
でもそれなら、さっき熱い口づけは何だったのか。
「桂人、何をしている? ぐずぐずしていると、皆が来てしまう。早く温まれ」
「……分かったよ」
おれも意を決して作務衣を脱ぎ捨て、掛け湯をして湯船に浸かった。
テツさんと同じ湯に入るのは、初めてでやはり照れ臭くなってしまった。
「気持ちいいか」
「……えぇ」
おれとテツさんは、気恥ずかしさもあり背中合わせになっていた。
何かを話したかったが、何を話せばいいのかわからない。
でも嫌な沈黙ではなく、さっきまでの恐怖に震える身体が柔らかく解れていくの感じた。
「……桂人、何か困った事があるのなら俺を頼れよ。俺には失うものはないが、守りたいものがあるんだ」
「……テツさんが守りたいもの?」
突然、テツさんに背後からガバっと抱きしめられた。
あたたかく大きな手のひらで、心臓にそっと触れられた。
さっき雄一郎さんに触られた時は、鳥肌が立つほどおぞましかったが、今は違う。違う意味で心臓がドクドクと早鐘を打っていた。
「な、何をする……離せよ」
清められていると感じるくせに、つい冷淡な声になってしまう。
「心臓の鼓動を聴かせてくれ。俺が守りたいのはお前だよ。どんな事情があってここに来たのか知らないし、桂人の過去は何も知らない。でも今ここに、今俺の腕の中にいて生きている桂人のことが……気になるんだ。俺はずっと庭の手入れにしか興味を持てなかった男なのに、どうしてだろうな?」
「テツさん……」
おれの過去も、秘めたる復讐心もいらない?
今のおれ自身が気になる?
そんなことを言われたの、初めてだ。
生きているのか死んでいるのかも定かでないこの身を、大切と言ってくれる人なんて……いるはずもない。
死に損ないの……おれだったから。
間もなく迎える『中秋の名月』
10年ぶりの仕切り直し、『森宮家との契りの儀式』が執り行われる。
中秋の名月に催される儀式の名は『月との婚姻』だ。
月見には秋の収穫に感謝する意味が込められている。そのために月や収穫物にちなんだものを食べたり、お供えしたりするのが昔からの習わしだ。
本来ならば水や酒がお供え物として選ばれる。そしてお供え物はお供えが終われば……皆で食べる事により、月や神様の力や恩恵を心身に宿すとされていた。
つまり……言い換えればこうだ。
森宮家のお月見のお供えになるのが、このおれ自身で……お供え者の運命は当主もしくはそれに準じる者に食べられること。
食べられるとは、抱かれること……男女の契りを結ぶこと。
さっきの調子では……やはり、男同士でも同じのようだな。
おれの生まれ故郷、東北の農村の大地主は森宮家だった。
東京の屋敷と鎮守の森は繋がっており、おれが閉じ込められた社の名前は『森宮神社』だったというわけさ。
15歳で社に押し込められた時には知らなかった事だが、全部あの人に教えてもらった。
「桂人……お前は『桂』の木を見たことがあるのか」
「……」
「桂の木材は軽く軟らかく加工が容易なので、建築に使われたり、家具や碁盤・将棋盤などに用いられるのさ。つまり……古来から人に愛されている木だ。それに月の世界にあるという木という意味があるのを知っていたか。お前の名前は本当にいい名前だな」
「何だって……『月の世界の木』だって? はっ、まさに……お供えモノに相応しい名だ」
「何を言って? お供えってどういう意味だ」
自嘲気味に笑うと、テツさんが不安そうに呟いた。
この優しく温かい人を巻き込んではならない。
悟られてはならぬ。
おれはつとめて明るく、振舞った。
「テツさん、いい加減手を離してくださいよ。それよりさっき部屋に寄ったら物語の本が置いてありました。あれを読んでください。またおれに……」
「あ? あぁ……あれは日本のおとぎ話だよ」
「いいですね……おれにも……おとぎ話を聞かせて下さいよ」
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