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庭師テツの番外編 鎮守の森 28
「うっ!」
背中に強い衝撃を受け、続いて激痛が走った。
テツさんが雪也くんを庇い、おれが二人の盾となったのだ。
このまま死んでも構わない。誰かの役に立って死ねるのなら、それでいい……あいつに抱かれながら死ぬより、ずっとずっと生きてきた、生き抜いた意味がある。
「桂人ー!!しっかりしろ!」
おれを呼ぶ、必死な声が聞こえる。
遠かったり近かったり、随分心配そうに呼んでくれるんだな。
おれの名を……
次に目覚めた時、視界は白い天井に白いカーテンとなっており、一番近い距離にテツさんの顔が見えた。
「……テツさん?……おれは……また死ねなかったのか」
「馬鹿なことを言うな!」
「もう死んでしまいたかった……あのまま」
思わず漏れ出してしまった本音に、テツさんが怒りを露わにする。
「いい加減にしろ!」
おれを見つめるテツさんの目は赤く、涙が浮かんでいた。
もしかして……おれのために泣いているのか。
不思議に思って指先を伸ばし、テツさんの頬に触れてみた。どうやら痛いのは背中だけで、指も腕も無事のようだ。
「テツさん……あなたに怪我はなかったですか」
「あぁお前が庇ってくれた。俺は情けないよ。お前を守れなかった」
後悔の滲む声だった。
「テツさんは……雪也くんを助けました。あの子は無事ですか」
「あぁ掠り傷一つない」
「良かったです。すみません。おれ……すぐに動けるようになりますから、まだ、ちゃんと働きますから」
せめて、あの日が来るまでは、あなたの弟子であり続けたい。
「何言って? 桂人は深い怪我をしたんだ。肋骨が折れているようだし、背中に深い傷を負ってしまった」
「いいんですよ。どうせ」
どうせ、もう傷だらけの躰だ。
どうせ、もうすぐ朽ちていく躰だ。
今更……傷が一つ二つ増えようと構わない。
そこでバチンっと目の前に火花が散った。
「馬鹿! 死に急ぐな! どうしてなんだよ、どうしてっ! お前、一体何をするつもりだ」
頬がヒリヒリしていた。
そこで漸く頬を叩かれた音だったと理解出来た。
「もしかして……おれのために怒って泣いているのですか。はっ奇特な方ですね。テツさんは……ははっ」
自嘲気味な乾いた笑いが、病室に広がった。
虚しいものだ。
「そんな風に笑うな。泣けよ!」
テツさんの涙が雨のように降ってくる。
おれのために泣いてくれるのですか。
あぁまただ……テツさんの庭にいるような不思議な心地になってくる。
泣くに泣けないですよ。今更この状況を打破する気力なんてない。でも……
瞼をそっと閉じてみた。
ただ欲望のままに、あれが欲しくて……
「桂人……」
すると優しい声と共に、あれはすぐにやってきてくれた。
唇に温かいものが、テツさんの唇が再びそっと重ねられたのだ。
「ん……んっ」
気持ちいい……温かい。
優しく指を絡めとられた。おれの指の1本1本にテツさんの指が絡まってシーツに縫い止められた。官能的な仕草だった。
まるで躰を重ねているような密着感だ。
目を開けたらこの甘美な夢から覚めてしまいそうなので、ギュッと瞑った。
この暗闇なら、怖くないんだな。
優しい口づけが心を灯してくれているから。
ここは病室で雨は降っていない。なのに……おれの唇はぐっしょりと濡れていく。テツさんによって濡らされていく。
もっと欲しい、もっと深く――
そっと口を開くと、おれの口腔内にも雨が降り注いできた。
舌を優しく吸われ、躰が震え疼き出す。
「あ……」
自分の声とは思えない、あえかな声だった。こんな頼りない弱々しい声がおれから出るなんて……
信じられなくて、思わず喉元を抑えてしまった。
途端に赤子のように心許なくなり、テツさんに縋りたくなった。だからその手を彼の背に伸ばしてしまった。
広い背中……逞しい人だ。
「桂人、俺に話せ。君が抱えているもの。君の秘密を。俺は君をみすみす失いたくない!」
「駄目だ。テツさん――」
「救いたい!」
「……あなたには……敵わない」
「何故だよ! 一介の庭師の俺には無理なのか! その権利はないのか!」
溢れる感情のままに折れるほど強く抱きしめられ、背中が痛んで「うっ……」と鈍い声を漏らしてしまった。
その時カーテンの向こう側から、低い声がした。
「……入ってもいいか」
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