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庭師テツの番外編 鎮守の森 34

「桂人、ここにいるんだろう?」  部屋にいなければ、当然、ここだろう。    お前も私が欲しいのか。ここで待っていてくれたのか。もう──  高笑いをしながら、高を括り暗い木戸を開けて中を探ったが、気配がなかった。 「おかしいな。いないのか」  いや確かに、さっきまで此処にいたはずだ。  手で探った畳には、人が座っていた湿った温もりを感じる。そして鼻腔を掠める甘美な香りが、狭い空間に漂っていた。  これが桂人の残り香か。実にいい匂いだ。そそられる……  そういえば『桂の樹木』は、甘いキャラメルのような香りを出すんだったな。まさにそれだ。桂人の躰からは香のようないい匂いがする。  だからなのか……  あぁ早く彼と交わりたい。早くこの手で手籠めにしたい。突き上げるような情欲に塗れていく。  一体、私の躰はどうなってしまったのか。  長年連れ添った妻も年頃の娘もいる身なのに、どうしてこんなにも同性の年若い桂人に欲情してしまうのか。  訳が分からない。  父に言われた通り、蔵から『秘伝の香』を取り出して離れの和室で焚いてから、頭の中にもやもやと霧がかかり、心は始終落ち着かない。    あの香は……  そうか『桂』……桂人自身だったのか。 ****    結局夜が明けても、桂人の行方は分からなかった。  海里さんも、始終難しい顔をしている。  俺たちは心配で一睡も出来なかった。  明け方、海里さんは俺に告げた。 「テツ、お前は今から秋田に行ってこい。この住所に何かが隠されている気がする」 「ですが、庭の仕事は……」 「そんなのは後回しだ。こうなってくると……桂人の問題はテツだけの物じゃない。俺にも兄貴にも関わっているようだ。何か恐ろしい事が起きてしまう前に阻止しないと」  心強い後押しだった。  本当は昨夜、雇用契約書を見た途端に、駆け出したくなっていた。    しかし……俺の生まれ故郷の住所が書かれているとは、思いもしなかった。  どういう縁なんだ。あの小さな村落から二人も森宮家の使用人として雇われていたなんて、偶然にしては…… 「さぁ行けよ! 行って見つけて来い。桂人の痕跡を、彼の足取りを」  海里さんは俺に白い封筒を渡してくれた。 「交通費だ。森宮の家の謎を解くためだから気にするな。一番早い電車で行けよ」 「恩に切ります」 ****  テツを見送ってから、俺は覚悟を決めて北側の庭に向かった。  昨日兄貴を見失った場所に立ち、前を見据えた。  竹と竹との間に、白い布紐が張ってある。  先には彼岸花が道案内をしてくれるように美しく咲いている。  テツはこの先には禍々しい真っ赤な彼岸花が咲いていて恐ろしかったと言ったが、これはどういうことか。  俺の目には美しい花にしか見えない。  この先に何があるのか。  すると茂みから突然人が出て来た。 「兄貴……」  焦燥し、乾いた表情を浮かべている。  兄貴は何かに飢えている。  そしてテツも桂人も……今、この屋敷にはいない。  ゾクっとするものを背筋に感じた。 ****  逃げないと。  だが、どこに逃げたらいいのか分からない。  俺はこの屋敷以外……知らないから。  誰か……助けて欲しい。  テツさんには迷惑を掛けたくない。  だが、テツさんの近くにいたい。  残された時間は、あと僅か。  

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