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庭師テツの番外編 鎮守の森 66
「先ほど兄貴から許可をもらい、テツと桂人の森宮家との契約は、正式に解除された。ほら契約書も返してもらったぞ」
海里さんから書類を受け取ったテツさんは、安堵のため息を漏らした。
こうやってひとつひとつ……足枷が外れていくのか。
おれはどんどん自由になっていく。
「テツ、だから一刻も早く移動しよう。冬郷家がお前たちを待っている」
「……海里さん、いろいろありがとうございます。桂人、俺たちの荷物をまとめに行こう」
「あぁ」
テツさんに促されて、使用人棟の俺の部屋に入った。
ここに入るのは久しぶりだ。やはりテツさんの匂いが充満しているな。日溜まりのような、木々のような香りだ。
最初はこの生命力に溢れた匂いが大っ嫌いだったのに、今はどこまでも安心できる香りとなった。
「ふぅん……この匂いは『スパイシー・ウッディ』ってところか」
一緒にやってきた海里さんが、聞き慣れない言葉を並べた。
「なに……それ?」
「あぁウッディノートとスパイシーノートを中心に作られた香水に似てるってことさ。スリルな熱さ感じるスパイシーと、安心感と落ち着きを感じるウッディのコントラストで調和のとれたものさ。そう言えば……テツの人柄を表しているようだ」
「……まったく、カタカナばかりで、言っていることが難しい人だな」
「えっ!」
海里さんが面食らった顔をすると、テツさんが隣で楽しそうに笑った。
「くくっ海里さんの言葉は、西洋かぶれしているし、凝り過ぎていて、聞き取れないようですね」
「ムッ……参ったな。桂人は俺には到底扱えない。全くテツにぴったりなじゃじゃ馬だな」
「じゃじゃ馬って……性質が激しく、わがままで好き勝手に振る舞う女性のことですよ?」
「まぁ似たようなもんだ」
なんだか二人でゴチャゴチャ仲良さげに話す様子に、少しだけ腹が立った。
「つまり、この匂いは、おれのテツさんの香りってことだろ? ゴチャゴチャ五月蠅いな」
「あ、っ」
テツさんが赤面する。
その様子を今度は海里さんが愉快そうに突っついていた。
もう一歩足を踏み入れると、何かを踏んだ。
「あ、秋桜が……」
床には、あの日もらった秋桜が干からび粉々になっていた。テツさんから、初めてもらった贈り物だったのに……
「桂人、冬郷家の庭に俺たちの花壇を作っていいそうだ。そこでまた秋桜を育ててやるから、泣くな」
「な、泣いてなんかいないだろ! やめろよっ、そういう言い方。どけよ。荷物をまとめるから」
自室で手早く荷物をまとめた。といっても下着と数着の服……たった、それだけだ。おれは本当に何も持たず、身ひとつで、ここにやってきた。
まだ生きていることが不思議で、死ぬためにやってきた。
「それだけか……」
「悪いか」
「いや。桂人自身がいる。それが一番大切だ」
「それに俺の荷物も、これだけだ」
「それだけ?」
テツさんは15歳からここで生きて来たのに、小さな鞄ひとつでいいのかと怪訝に思った。
「俺も桂人と真っ新な状態から再出発したい。だから、余計なものは全部捨てていくよ」
「そうか……潔いな、テツさん。そういう所が……好きだ」
おれは、もうひとりじゃない。
すぐ隣にテツさんがいてくれる。
ここから這い上がるのではない。ここからふたりで生きて行く。
ずっと憧れていた世界は、身近な存在となっていく。
社から見上げていた大空も、身近な自然となっていく。
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