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庭師テツの番外編 鎮守の森 67
「さぁ行こう! 」
「あぁ」
荷物を持ち使用人棟から出た所で、前方に黒い人影が揺らいだ。
「誰だっ! 」
テツさんの厳しい声が響くと、物陰から現れたのは雄一郎だった。おれの躰は反射的に硬直し、テツさんの声も上擦っていた。
「ゆ、雄一郎さん……な、何をしに? 」
「お前達、もう出て行くのか」
おれはテツさんの広い背中に咄嗟に隠された。おれの姿を見せたくないらしい。確かに雄一郎との、ここでの思い出は最悪だ。無理矢理あの社の前に連れて行かれ、押し倒され胸を弄られ、危うい所だった。
だが、今、おれの目の前にいる雄一郎の雰囲気は、あの時とガラリと違っていた。
支配されていた物が出て行った抜け殻のような状態だ。どす黒く不穏に渦巻いた淀んだ空気が消えている。
「一刻も早く出て行きますよ。この家とはもう関わりたくなりですからね」
「今まで……すまなかった。申し訳なかった。代々の当主に代わり、私が詫びる。この通りだ」
「えっ」
目の前の雄一郎が膝を折って土下座した。泥濘んだ土に額を擦り付けて、汚れるのも構わずに……まさか彼がそこまですると思っていなかったので、動揺した。
おれはテツさんを押し退けて、前に出た。
「桂人っ……馬鹿、お前は隠れていろ! 」
「だが、隠れるのは性に合わない」
「まったく」
おれも膝を折り、雄一郎の震える背中に手をあてた。触れるのもおぞましい相手だと思っていたのに違った。彼の背中は痩せて疲れ果てていた。実年齢よりもずっと老けて見えるな。彼なりの苦労を、ひとりで背負ってきたのだろう。
「雄一郎、あなたがそこまでする必要はない」
「桂人……私を許してくれ、罰してくれていいから」
「罰する? そんなことはしない。ただ見せてくれればいい」
「何を? 」
「この先の人生を……自分の足で歩み、自分の手で開いて行くのを」
人生も開拓だ。
「おれは、おれの開拓者になる。だから雄一郎も雄一郎の開拓者になれよ」
心配そうに見守っていた海里さんが、感慨深げに口を挟んだ。
「はは、桂人は生意気だが、言うことは間違えていないな」
「そうだ。あなたの人生はあなたのもので、同時におれの人生はおれのものだ」
「なるほど……I am not what happened to me, I am what I choose to become.ってことか」
海里さんの言葉は、相変わらず意味不明だ。
「おい、また難しいことを……もっと平たく言ってくれよ! 」
「あぁユングの名言さ。『俺たちは自分に日々起きた出来事によって創られた存在ではない。俺たちは自分自身の意志で選択して築きあげられたものである』……桂人、俺たちもそうありたいな。ここにいる皆も」
「なるほど。まぁそういうことだ。おれは行く。ここはもう……おれの居場所ではない」
雄一郎の背中から手を離し、一歩下がっておれからテツさんの手を握った。
骨張った大きな手、温もり……やはり、しっくりする。
ここがおれの場所だ。この人と生きていく。
これがおれの選択だ。ここから築き上げていく。
「元気でな、雄一郎……」
「参ったな。桂人は格好良すぎる……私も負けていられない」
「その勢いだ……あなたも頑張ってくれ」
おれたちは『和解』という二文字では片付けられない関係になった。
それぞれの道を行く。それがおれの結論だ。
「行こう! テツさん」
「おい、桂人、お前はひとりで突っ走り過ぎだ」
「あ、悪い……」
「まぁいいよ。俺が傍にいるから頑張れるようだしな」
「そうだ。テツさんが見ていてくれるからだ」
熱い気持ちが込み上げてきて、テツさんの唇を奪った。
「お、おい、こんな場所で……っ」
「誰が見ても、構わない。恥ずかしいことなんて、一つもない! 」
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