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その後の日々 『冬郷家を守る人』 10
「ん……桂人? 」
目覚めると、懐に抱きしめて眠っていたはずの温もりがなくなっていた。
「どこへ?」
あの日、俺を置いて出て行った桂人の足音を夢現で聞いたような。
驚いて飛び起きると、ベッドサイドのテーブルに置手紙があった。
……
ゆきやくんと、にわであそんでくる。しんぱいするな。 桂人
……
ひらがなだけの文章……たどたどしい文字に、切なさが込み上げる。
中学には行かずに家のために働き、15歳で世界から抹殺されてしまった君は、漢字を殆ど読めない。
それでも、君には潜在的な知性の芽を感じている。
桂人は、これからスクスクと育つ若い芽で、知識や知性を桂人に植え付けていくのは、瑠衣や柊一さんの仕事だ。
だから俺は変化していく君を見守るだけ。きっと、さなぎが蝶になるように、美しく変化していくだろう。
それにしても雪也くんと遊ぶって……おいおい、恋人同士の甘い朝よりも、外遊びか。苦笑しながら、窓の外を見つめた。
「お、おい? 何やってるんだ?」
本館の前の椎の木にスルスルと木登りする桂人の姿を捉え、唖然としてしまった。しかも地上からは雪也くんが見上げている。
『ケイトさーん』
『しっ』
あぁそういうわけか。雪也くんとの遊びはずいぶんヤンチャな遊びだ。見つかったらまた『じゃじゃ馬』と海里さんから揶揄されるだろう。いや、本当にじゃじゃ馬だ。
だが桂人は身なりを整えて、知識を身につければ無敵になる。そうなるのが嬉しいような寂しいような。こんな考えは、彼を今度は社でなく俺の世界に閉じ込めてしまう行為で駄目なのに、あぁこれが『独占欲』というものなのか。
海里さんが柊一をこの屋敷に閉じ込めて、誰にも見せたくない気持ちって、こういう感じなのか。
参ったな、俺も海里さんと同類だったのか……
それにしても、本館の窓を覗き見する桂人の様子には、いよいよ可笑しくなってしまった。アーサーさんの余裕の顔と、海里さんの焦った顔がそれぞれで面白かった。
どちらの部屋でも、ベッドでは……清らかな天使が羽を休ませているだろう。そういえば、以前、桂人が庭先で面白いことを言っていたな。
『白くて羽が生えたものが一杯いるが、何だ?』と。
俺には見えなかったが、それはきっと『天使』だと思った。雪也くんと柊一兄弟がこよなく愛する洋書に、よく登場していたので、きっとそうだと思った。
冬郷家は天使が棲む家……秘密の庭園は天使が集う庭だ。
これから俺と桂人が生きて行く場所が、耀い場所で良かった。
天使……俺にとっては桂人が天使だが、俺の天使だけは風来坊のようだ。
ずっと閉じ込められていたから、一つの場所に留まることを嫌うだろうが、君がいつでも戻ってきて羽を休められる場所でありたいよ。
やがて樹から滑り降り地上に降り立った桂人が、離れを見上げた。
手には虹色のセロファンを持って……そこから世界を透かして見ているようだ。
俺を……見てくれないか。そうだ、窓を開けて伝えよう。
「桂人、おはよう」
「テツさん! 起きたのか」
嬉しそうに笑う桂人の表情に、ドキっとする。
暗く、苦虫を噛み潰したような顔ばかりしていた君が、朝日の中で笑い、俺に笑いかけてくれる。
この光景を見られただけでも、幸せだ。いい1日になりそうだ。
「待っていて。そっちに戻るから!」
そんな声と共に、君が階段を駆け上ってくる。
『戻るから……』
そうか、俺は……桂人が戻る場所になれたのか。
とても嬉しい。
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