340 / 505
その後の日々 『執事レッスン』 11
今の冬郷家は、以前とは比べ物にならない程に騒がしい。
それは滞在している人数が増えただけでなく、皆が心の赴くままに発言し、自由に過ごしているからだ。
僕が二十代前半で継ぐことになってしまった重々しい歴史を背負った白薔薇の屋敷に、新しい風が吹いている。
執務室で仕事をしながら、庭からはテツさんとケイトさんが仲睦まじく声を掛け合って働く声が聴こえてくる。
『テツさん、そっちを持ってくれよ。重たい』
『おう、任せろ』
くすっ、テツさん限定で甘えるケイトさんって、可愛いな。
二人は本当によくお似合いだ。
テツさんは長年積んだ庭師の腕前を存分に発揮して、この館の庭園をどんどん整えてくれる。来年の春には素晴らしい庭園《Garden》が完成するだろう。
桂人さんは仕事にはまだ不慣れで熱心ではないが、才覚があるようで、要所要所で活躍しているようだ。
でもたまに夕暮れ時になると……庭の高い木に登って遠くを眺めているのを知っている。
夕闇に紛れそうな背中には、いつも哀愁が漂っていた。
もしかしたら人知れず、故郷を偲んでいるのかな。
貧しい農村の出身で、小さな兄弟のために15歳で親に担がれ……生贄にさせられたと聞いている。
会いたい……のかもしれない。
それは血を分けた兄弟の存在がどんなに愛おしいものか……知っているから、想うこと。
「柊一さま、入ってもよろしいですか」
「瑠衣! 」
何より嬉しいのは、今は……大好きな瑠衣が、この屋敷にいてくれる。
夏に英国に帰国した時は、もう当分会えないと思っていたのに、まさか秋にまた来てくれるなんて……事情が事情だったが、すべての問題が片付いた今となっては嬉しい状況だ。
この館に……執事の服装の瑠衣がいてくれる。
それがこんなに力強い光景だなんて。当時は当たり前のように思っていたことが、今は本当にありがたく大切な存在だったと、気付かされる。
「どうされたのです? 」
「瑠衣……ずっとこの屋敷に勤めてくれてありがとう。13年間もよく我慢してくれた。本当は……アーサーさんと歩むはずの時間だったのに、すまなかった」
今度瑠衣に会ったら、絶対に伝えようと思っていたんだ。
よかった、ちゃんと言えた。
「そんな……柊一様、よして下さい。私がここに居たかったのですよ。幼い柊一さまと出逢い、どんなに当時の私の心が癒されたことか。そして雪の日に産まれた雪也さまの存在も愛おしく、ご病気のことも心配でした。だから……どうか、そんな風に言わないで下さい」
「ありがとう。嬉しいよ」
瑠衣、瑠衣……優しい瑠衣が、大好きだ。
「今、君が幸せそうで本当に嬉しい。それにね、夏に来た時よりもっと深くアーサーさんの人柄を知ることが出来ているよ」
「……それは、お恥ずかしいです」
「僕は、実はアーサーさんってもっと遊び人なのかなって思っていました。って、ごめんなさい」
「いいんですよ。彼は明るい人なんです。楽しいことが大好きなのが、最近変な方向に走っているだけで……」
あ……変な方向って、忠犬……っぽいことかな。なんて口に出したら、失礼だよね。
「ふふ、可愛らしい人なんですね。見た目は、物語の騎士のようなのに」
「き、騎士……」
瑠衣の顔がみるみる赤くなっていく。やっぱり図星だった?
「瑠衣、このお屋敷はすごいね。王子さまに騎士がいる。それに……」
「あとは魔法使いですね。柊一様の大好きなお話の世界が、ここに実在しています」
「そうなんだ!」
僕は幼い頃、瑠衣と書庫に籠って本を読んだ時の高揚した気持ちを思い出していた。
いつも……ワクワクして頁を捲る手が震える程、興奮していた。
「すると、柊一様は海里にとってはお姫様ですね」
「それはちょっと恥ずかしいよ。僕は男なのに」
「……守ってもらうのは、悪いことではありません。それだけ相手を信頼して愛しているから許せる行為です。守ってもらえる人でいる、守ってもらいたい人がいる……そのお気持ちをどうか大切に、これからも海里に沢山愛してもらって下さいね」
瑠衣の言葉は、瑠衣自身の話でもあった。
瑠衣自身も姫のように、アーサーさんから忠誠を尽くされ、愛されているから。
魔法使いがかけてくれたの?
こんな魔法のような日々は……
こんな、まるでおとぎ話のような日常は……
ともだちにシェアしよう!