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その後の日々 『執事レッスン』 16
「瑠衣さん、おはよう……ございます」
「あぁ桂人、よく眠れたかい? 」
「テツさんにたっぷり温めてもらったから、ぐっすりだった」
「えっ……あぁそうなんだ。良かったね」
ここ数日、午前中は桂人にマンツーマンで執事のレッスンをしている。僕が日本にいられる時間は限られている。だから少しでも多くのことを分かりやすく伝えたい。
テツさんに昨夜も深く抱かれた余韻の残る桂人の躰には、若い色気が漂っていた。意志が強く、男気のある桂人だが、テツさんには滅法弱いらしく……彼に甘やかされ、熱く抱かれた余韻を、大切そうにしている。
可愛いね……
しかしあまりにも包み隠さず話すものだから、こちらが赤面してしまうよ。でも温めてもらったのは、君だけじゃない。僕だって昨夜はアーサーに、はしたない程、強請ってしまった。
『アーサー、もっと、もっと深く抱いて……』
余韻が欲しかったのは、僕の方だ。だから僕と桂人は同類だ。
「瑠衣さん、今日は何を教えてくれる? 」
「昨日渡したノートは読み込んで、書き写せた? 」
「あぁ『執事の心構え』なら、ほら」
渡されたノートには、拙いながらもびっしりと文字が書かれていた。漢字が苦手で殆ど読めないのは知っている。だが敢えて漢字も使った指南書を、僕は桂人のために作成している。執事の仕事以外に、漢字を学ぶきっかけになればと願って。
僕が見守るはずだった大切な冬郷家のご子息を、託す相手が見つかったのだから、力も入るよ。それに最近の桂人は、水を得た魚のように積極的に学ぶ姿勢も見せてくれるしね。
「桂人は最近、心構えが変わったね」
「あぁ、だってこのお屋敷や柊一さんや雪也さんは、瑠衣さんを温めてくれたんだろう? 」
「え……何を言って? 」
「温めてくれる人や物があるって、いいな。恋人じゃなくてもいい、自分を大切にしてくれる人がいるって、すごいことだ」
「あ……そうだよ。その通りだ」
まったく桂人の言葉には、驚かされる。
アーサーと別れ、日本に単身で戻った僕の寂しい心の隙間を埋めてくれたのは、このお屋敷だった。
温かいご当主さまは、まるで僕を息子のように大切に扱ってくれた。まだ幼かった柊一さまと雪也さまは、よく懐いてくれた。
柊一さまとふたりきりで書庫に籠もる時間は、僕が英国での日々を思い出す、心の中でアーサーに触れられる貴重な時間でもあった。
冬郷家には不思議と英国のものが多かった。英国の書物も沢山あり、特にお気に入りだったおとぎ話には、姫を守る王子様と騎士が登場した。
僕はその物語を何度も何度も繰り返し、柊一さまに読んでさしあげた。そして騎士が登場するたびに、アーサーを密かに思い出していた。
「瑠衣さん? 大丈夫か」
いけない。つい懐古してしまった。
「あぁごめん。よし、レッスンを始めよう。宿題をやってきてくれたようだから、今日は本題から入るよ。桂人、執事の指針は『おもてなしをすること』だけれども、最高の『おもてなし』って何だと思う? 」
「うーん、この都会のように洗練されたサービスのことかな……」
桂人は自信なさげに、首を傾げていた。
「そうじゃないよ。日常の基本的なサービスを、基本通りにコツコツと積み重ねていく。それが大事なんだ。淡々とした日々かもしれないが、それが執事の王道だよ。最高のおもてなしは、日々の努力から生まれる。覚えておいて欲しい」
「なるほど……当たり前のことを当たり前に行うんだな」
「そうだよ、だから桂人にも今日から出来ることだ。難しく考え過ぎなくていい。指南書には難しい内容をいろいろ書いてしまったが、基本はとてもシンプルだ」
特別なご馳走ばかりよりも、大切な人と食べる日常の食事の方が、心が温まり愛おしいのと同じだ。
積み重ねることの大切さを、君に伝えたい。
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