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その後の日々 『別れと出発の時』 2
「瑠衣っ、大丈夫か」
ショックでふらついた躰を、いつの間にか起きて来たアーサーがしっかりと抱き留めてくれた。
「あ……ありがとう……アーサー」
逞しい胸だ。君が僕を守るように抱いてくれたので、心が落ち着いた。
「アーサー、瑠衣を頼むよ」
「あぁ、海里は? 」
「一度森宮の屋敷に戻って兄貴の手伝いをしてくる。葬儀の手はずを整えないとな」
「そうか……また忙しくなるな」
「まぁこれが最後のお務めさ。まずは父の死に顔を拝んでくるよ」
海里の顔色もすこぶる悪かった。平静を装ってはいるが、そうじゃないのでは……いつも君に心配かけてばかりだった僕だから、こんな時くらい役に立ちたいよ。
「……海里。僕も……連れて行ってくれ」
「だが……あの屋敷は、瑠衣にとっては」
僕は渋い顔で首を横に振った。
「もう大丈夫だ。それに世間には認められていないが、僕もあの人の息子だ」
「あぁそうだよ。お前も父の息子だ。悪い、ありがとうな」
僕の一挙一動を、アーサーが後ろでしっかり見守ってくれている。それだけで、僕は何でも出来そうだ。
とにかく僕も、父に会わないと……
最後なんだ。もう──
「海里がいるなら心配ないだろう。瑠衣、気を付けて行っておいで」
「アーサー、ありがとう。僕はすぐに戻ってくるから」
「あぁ、分かっているさ」
****
まだカーテンを閉めたままの薄暗い部屋で着替えていると、コトリと背後で音がした。どうやら柊一を起こしてしまったらしい。
「海里さん? どうなさったのですか。何かあったのですか。こんなに早く、お着替えをされているなんて」
「……」
父の訃報をどう伝えたらいいのか迷っていると、柊一が優しく俺の背中に頬を摺り寄せてくれた。
「何だか……寂しそうです」
ただそれだけの言葉だったが、不覚にも涙が込み上げてきてしまった。
父親といっても……世間一般のような温かく仲睦まじい関係ではなかった。
森宮家という平安時代まで遡れる旧家の特殊で厳格な環境下だった。しかも父には死別した前妻がいて息子もいた。さらには俺の母と再婚した年には屋敷の使用人にも手を付けて孕ませていた。
母親がそれぞれ違う異母兄と異母弟のいる日常が普通ではなかった。まして異母弟の瑠衣を世間に公表せずに、屋根裏部屋に閉じ込める仕打ちまで……
この件については、生贄という恐ろしい風習に乗っ取った習わしが絡んでいたと、最近知ったが……
どこか得体の知れない恐怖を感じる父だったのに、身罷ったという知らせは、俺に想像以上のダメージを与えていた。
だから今、そんな風に優しい声をかけられたら……
「海里さん? 悲しい時は泣いていいんですよ。その……僕では頼りないかもしれないですが」
優しく俺を見上げる柊一に、心癒やされる。
柊一、君が両親と一度に亡くした時、どんなにショックで寂しかったか。ましてあの時の君には、俺も瑠衣もいなかった。君は弟を抱え、本当にひとりぼっちだった。当時の柊一の悲しみを推し量ると、涙が堪え切れずに頬を伝ってしまった。
何故、涙が……あぁそうか、俺も悲しいのだ。父の死が……
俺が柊一の前で泣くなんて、あってはならない。恥ずかしく決まり悪く、慌てて顔を背けると、柊一はそっと手を伸ばして俺の頬に触れてくれた。
誘導するように静かな声で囁いてくれた。
「海里さん、やっと……泣けましたね。何か悲しいお別れが……あったのですか」
「あ……あぁ、父が未明に亡くなってね」
「……そうだったのですね」
「悪い、君の前で泣いたり、悔んだりしたりして……」
「何故、謝るのですか。少しも悪いことではありませんよ」
「そうなのか」
「感情を見せて下さい。僕に、もっと──」
慈愛に満ちた声。
いつも俺が守っている柊一の当主としての一面。兄としての一面に触れ、心が震えた。だから、そのまま柊一に縋りつくようにして、俺は嗚咽を漏らした。
「悪い、少しだけ胸を貸してくれないか……あんな父だったが、血の通った肉親だった」
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