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その後の日々 『別れと出発の時』 5

「久しぶりだな。海里と……瑠衣」 「兄貴、父さん、随分急だったな」 「まぁ覚悟はしていたが、最後はあっけなかった。誰も間に合わなかった」 「ふっ……父さんらしいな」  森宮の屋敷は、まだ未明なのに騒然としていた。  使用人が廊下を行き交う足音が、鳴り響いている。  おそらく大きな葬儀になるだろう、何しろ日本を代表するホテルオーヤマの会長が亡くなったのだから。 「海里が来てくれて助かるよ。私一人では手に負えない」 「葬儀の段取りなら、手伝いますよ。最後の奉公させて下さい」 「あぁ心強いよ。それに瑠衣も……」    隣に立つ、瑠衣は先ほどから一言も発しない。 「おい、瑠衣、大丈夫か」 「……」  神妙な顔でコクリと頷くのみだ。無理もない、この屋敷にいい思い出なんかないもんな。瑠衣は……屋敷の屋根部屋に6歳まで幽閉されていた。その後は亡くなった母親の代わりに高校生まで学校に通う時間以外は、小間使いに徹していた。 「瑠衣、来てくれてありがとう」 「……」 「怖がらないでくれ……どうか」 「……はい」 「私は君に、若い頃、申し訳ないことばかりした」 「もう……過ぎたことです」  兄貴はすっかり変な憑き物が落ちたようで、森宮家の実質的な当主として貫禄ある態度を取っていた。よかった。いつもの兄だ。母親は違えども血の通う兄なのだ、あまり恨みたくない。 「さぁ、父に会ってくれ」  通されたのは父の寝室。俺の母が亡き後は、ずっとここでひとりで眠っていた。山のような後妻の話も全部蹴って……  誰に操を立てたのか。  父さんの子を産んでくれた……3人の女性に?  もう冷たくなって眠る姿は、面影がない程にやつれていた。歳の割に老けて見えるな。これでは……まるで90代の老人のような風貌だ。  これが本当に父なのか。 「うっ……」  突然、瑠衣が泣いた。  正直……彼が泣くとは思っていなかったのに、嗚咽を真っ先に漏らした。 「大丈夫か」 「海里、この人が……僕の父なんだね」 「あぁそうだ。最後に会ったのは、あの日……13年前になるのか」 「うん、あの日以来、僕は……会わなかった。せめてもう一度位、会えばよかった」 「晩年の父は、何故かお前の事を何度も呼んで、気にかけていたからな」 「うん……」 「瑠衣には悪いことをしたと言っていた」 「うん……」  父の枕元には、真っ白な彼岸花が飾られていた。 「兄貴……この花は」 「あぁ季節外れだが今朝、満開だったと、新しい庭師が摘んできてくれたんだ」 「そうか。これは父さんへの餞だな」  瑠衣が目を細めて、記憶を辿っているのが、伝わってきた。 「海里、父さんはあの道を辿って……黄泉の国に逝ってしまったんだね」 「そうだな」  目を閉じれば、ありありと浮かんでくるよ。  社へ続く道の両端に揺れていた白い彼岸花を、見事に飛び越えて……あの世に逝った女性がいた。  これ以上の会話は、もう必要なかった。  ただ皆、静かに……人生という長い航海を終えた父の亡骸を見守った。 「朝からお疲れでしょう。こちらで温かい紅茶を」  俺たちに気を使ってくれたのは、執事の田村だった。 「あ……田村さん」 「お前……瑠衣……本当に瑠衣か」 「……はい」 「おぉ、おぉ……元気だったか」  彼は森宮家の筆頭執事の田村。父さんの時代……20代からこの屋敷に勤めてくれた人だ。もうすっかり白髪になっている。  幼い瑠衣を、気にかけてくれた唯一の味方だった。俺が屋根裏部屋を訪れる手引きをしてくれたのも、彼だった。 「良かった、瑠衣、君は幸せになったんだね」 「え……」 「見れば分かるよ。もともとの気品に磨きがかかったな」 「そんな」  瑠衣は擽ったそうに微笑んだ。 「安心したよ。今日は顔を見せてくれてありがとう」 「僕も……来てよかったです」 「そうだ、お前にずっと渡したかったものがある」 「何でしょう」 「亡くなられた旦那さまからの贈り物だよ」 「え……」

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