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その後の日々 『別れと出発の時』 8

「ここです」 「ここは……?」  食事の後、柊一に案内されて入ったのは、重たい扉の暗い部屋だった。 「今、電気をつけますね」  灯りがつくと、壁が全て本棚になっている空間だった。グレイ家のノーサンプトンシャーの別邸にも似たような部屋があるので、すぐに理解出来た。 「これは……随分と本格的な書庫だね。日本でお目にかかれるとは」 「はい。元々この冬郷家は英国の貴族の館を模して建てられたそうで、書庫も仕様は英国と同じかと」 「うん、我が家の書庫とよく似ているよ」 「……あの、僕が9歳の時に、瑠衣はこの冬郷家に執事としてやってきました」 「あぁ、知っているよ」  俺とノーサンプトンシャーのコテージで抱き合ってから旅だった瑠衣が、帰国後すぐに、この家の執事になったのは、のちに海里から聞き出した。だから俺はこの家宛てに、返事の返ってこない手紙を、13年間も送り続けたからな。  しかし瑠衣が勤めた屋敷が、こんなにも英国の香りを漂わせているとは、想像もしなかったな。 「瑠衣と僕は、すぐに意気投合して仲良くなりました。瑠衣は執事でありながら、僕にとって兄のような存在で……二人で、この書庫に籠もって、よく読書しました」  柊一が脚立にのぼって、棚の上の本を取って渡してくれた。 「僕と瑠衣のお気に入りは、この洋書でした」  タイトルは、シンプルに『Fairy tale(おとぎ話)』パラパラと捲ると、王子や騎士、そして二人の姫の麗しい挿絵が目に入った。 「そうか……これが瑠衣のお気に入りか」 「瑠衣は、時々一人でこの書庫に籠もって、この本を抱きしめ涙を浮かべていました。そんな時……僕はそっと見守って、話しかけませでした。ある時、気付いたのです。瑠衣がこの書庫に籠もる直前には、必ず英国から封書が届いていたと。今思えば……きっとアーサーさんを想っていたのでしょうね」  そうだったのか、瑠衣。  返事がないのを恨んだ時期もあったが……そうではなかったのか。  返事を出せない代わりに、ここで俺を想ってくれていたのか。    いじらしい瑠衣。そんな君を忘れた日はなかったよ。 「アーサーさん、瑠衣はいつも心の片隅で、あなたを想っていました。僕は瑠衣と過ごせた13年間が誇りです。瑠衣は本当に僕にとって心の支えでした。ありがとうございます」  離れていた13年間は、俺たちにとって無駄な年月ではなかった。柊一をこんなに心優しい青年に育てあげたのは、持って生まれた気質もあるだろうが、瑠衣の真心が届いたからだ。  俺たちの空白を埋めてくれる冬郷家……そして柊一と雪也くんの存在が尊い。 「ありがとう。今日ここを見せてくれて」 「瑠衣には内緒にしてくださいね。瑠衣は人知れず泣いていたのですから」 「あぁ分かった」 「だが君も……ここで泣いたんだな」 「あっ……」    柊一も両親が亡くなって、苦労したと聞いている。きっと彼もこの部屋で、涙を流していたのだろう。そんな君が海里という人生の伴侶と出逢えてよかったよ。  俺と瑠衣……海里と柊一  俺たちは、違うようで、とても似ている。  根底に流れるものが、同じなのかもしれないな。  手元の洋書には、何度も何度も頁を捲った跡があった。 「ふぅん、なるほど。俺は騎士で、海里が王子だな。そして二人の姫は瑠衣と柊一だな」 「あ、あの……」  柊一は、恥ずかしそうに俯いた。 「そうか、柊一が『おとぎ話』好きなのは、瑠衣の影響が強いからだな」 「……その通りです」  

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