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その後の日々 『別れと出発の時』 9

「テツさん、まだ起きないのか」 「ん……もう、そんな時間か」 「全く、庭師というものは、もっと早起きすべきだろう? 」 「ははっ、確かにそうだが……俺の寝坊は、お前のせいだ」  昨夜また桂人の躰に溺れてしまった。おかげでこの様だ。 「テツさん……少し、おれも布団に入ってもいいか」 「どうした? 」 「ん……」  先に母屋に行ってきたようで、桂人は手元に紅茶のポットを持っていた。それをナイトテーブルに置いて、もぞもぞと俺の布団に潜ってきた。  何だか、甘える子猫みたいな奴だな。 「母屋に行っていたのだろう? 何かあったのか」 「……海里さんと瑠衣さんのお父さんが、未明に亡くなったそうだ」 「何だって……そうか……大旦那さまが、とうとう」  もう数年に渡り入院していたので覚悟はしていたが、そうだったのか。  森宮家の一介の庭師だった俺にとって、大旦那さまは雲の上のお方で、話す機会は殆どなかった。だが屋敷にいらした頃、毎年頼まれていたことがある。 …… 『おい、この庭には白い彼岸花は咲いていなのか』 『この家の彼岸花は皆、赤色ですが』 『なんだ、そうなのか』 『あの? 』 『何か白い花を用意してくれ』 『?』    訳も分からず、庭の秋咲の薔薇を差し出した。清楚さと気品に満ちた、棘の少ない清楚な薔薇だ。 『ほぅ、これは何という名前だ? 』 『これは『アイスバーグ』という品種の薔薇です』 『……そうか。綺麗だな。これを北の方向へ手向けてくれ』 『はい』 『来年も再来年も……そうしてくれ。同じ日に……』 ……  今考えると、あの薔薇は……瑠衣の母への哀悼だったのかもしれないな。 「なぁテツさん……」 「どうした? 」 「瑠衣さんを見ていて思ったんだ。過去に……どんな仕打ちを受けても、父親が亡くなるというのは、寂しいものなのか」  桂人は、少し寂し気な遠い目をしていた。  もしかしてお前は今、遠い秋田の家族に思いを馳せているのか。 「そうだな……どうだろう? その人次第だと思うが……その瞬間が来てみないと分からない」  桂人は俺の胸に頬をのせて、じっとしていた。 「そうか……テツさん……俺にはよく分からない。俺の父は、俺を生贄として差し出した張本人だし、命からがら舞い戻った時に、泣いて縋っても……助けてくれなかった人だから」  彼の複雑な心境が、手に取るように伝わってくる。 「それでいい。桂人……今は無理するな。俺だって、よく分からない。お前と同じ立場だ。俺を居ない者とした家族を許せるのか分からない……」  桂人の躰を、今一度深く抱きしめてやった。 「一度に何もかもは無理だ。人は人で、俺達は俺達だろう?」 「あぁ、だから好きだよ。テツさん」  桂人の方から身を乗り出して、俺に口づけをしてきた。 「おい。もう朝だぞ、そんなことして……煽っているのか」 「……テツさんは俺が寒い時、温めてくれるんだろう? 俺に人肌を与えてくれよ。ここが冷えているんだ」  桂人は自分からシャツのボタンて外して、シャツを脱ぎ捨てて、艶めかしい上半身を、俺に摺り寄せてきた。  桂人の素肌は冷たく冷えていた。 「お前、可愛いな。俺に甘えて」 「ん……テツさんにだけだ。こんなの……っ」  目元を赤く染めて、桂人がキッとした表情で俺を見下ろす。    強気だが脆い……桂人を支えるのは、俺だ。

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