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峠の先 15
「テツさん、そろそろ雪也くんの手術が終わった頃だろうか」
「そうだな、順調ならな」
もうとっくに治癒したはずの足の腱が、今日に限って痛むのは何故だろう。
雪也くんの手術と、おれの気持ちが連動しているようで、キリキリと痛む。
雪也くん……とうとうあの清らかな身体にメスを入れられてしまうのか。もちろんこの先の人生を生きるための処置だとは分かっているが……おれの気持ちは、ざわついている。
「桂人? 少しぼんやりしているな。大丈夫か」
「あぁ……」
「気をつけろ、怪我するぞ」
「分かっている……あ、痛っ」
言われた傍から、薔薇の棘でザクッと指を切ってしまった。
怒られる? と身を固くしてしまった。
「あ、馬鹿!」
「うっ……大丈夫だ」
慌ててタオルをあてて後ろ手に隠すが、テツさんが真顔で近づいてくる。
「見せてみろ」
「い、嫌だ。たいしたことない」
「強情だな」
いきなり庭先で唇を奪われ……驚いた拍子に、手をグイッと掴まれた。
「やっぱり、結構深く切ったな」
「きゅ……急に、口づけするなよ!」
「ふっ、この庭は秘密の庭園だろ。恋人同士が愛を紡ぐことは許されているそうだぞ」
おれたちは最近、冬郷家の庭……その更に奥にある『秘密の庭園』を集中して改装中だ。
海里さんと柊一さんからの指示で東屋風のチャペルを再現するために、テツさんと力を合わせているのだ。
蛇口で傷口を現れ、テツさんの指によって止血された。
「ふぅ……小さな棘でも侮るな。お前の身体が大切だ。お前はもうひとりじゃない」
薔薇の棘くらいで血相を変えて心配してくれる人が、今のおれにはいる。
遠い昔……
傷一つなかったおれの身体は、突然村の男達によって羽交い締めにされた。身動き一つ出来なかった。背中にかけられた体重で胸を圧迫され、呼吸をするのもままならず……畳のささくれを掴むしかなかった。
すると突然鋭利なものがシュッと足首を通り過ぎた。
痛みより熱さを咄嗟に感じ……次に断末魔の痛みと灼熱。
誰一人として助けてくれなかったことを思えば、テツさんの優しさが身に沁みて泣けてくる。
「泣いているのか」
「泣いてない」
「足が痛そうだ」
「痛くなんか、ない」
「お前は、強情だな。ここには俺とお前しかいないのに」
「これ以上、甘やかさないでくれ」
テツさんが俺を抱きしめてくれる。
「あぁそうか……今日のお前がピリピリしているのは、海里さんが雪也くんに執刀したからだな。今日のお前は傷に怯えている」
「なんで……どうして……テツさんには全部分かってしまうんだよ」
「俺がどれだけの長い年月……草花と対話してきたと?」
「おれは草花じゃない」
「そうだ、だから苦戦している。だが、今日は図星だったろう?」
「う、五月蠅い」
こんな強情なことばかり言っては嫌われてしまうのに、天邪鬼なおれは為す術を知らない。
「それでいい。桂人……そのままでいい。お前がいてくれるだけで嬉しいのだから、俺が歩み寄る、寄り添うから、じっとしていろ」
「ば、馬鹿だ……テツさんは……おれなんかを愛して」
「それ以上言うと怒るぞ! 俺がどんなにお前に惚れているか知っているくせに」
作りかけの東屋のベンチに座らされて、足を掴まれた。
手早く靴と靴下を脱がされ……足の腱をじっと見つめられる。
「お前の傷を治してくれた人は確かにいた。その人がいたから俺に巡り会えた。そして桂人はもうひとりじゃない」
テツさんの指が古傷に触れると、温もりが生まれた。
「気持ちいい……」
あの日感じた灼熱の痛みはない。その代わりに蕩けるように駆け上ってくる、テツさんのぬくもりに包まれる。
「傷は消えなくても、癒えていくものだ」
「テツさん、ごめん。おれ……」
「大丈夫だ。雪也くんの手術は必ず上手くいく。俺たちに出来ることは祈ることだけだ」
ふたりで東屋から天を見上げ、目を閉じた。
ばばちゃ……
天上の世界には、雪也くんのご両親もいるだろう?
どうか頼んでくれないか。
小さな命を生かしてあげて欲しい、励まして欲しい。
綺麗な身体に、手術とはいえ深い傷を受けたのだ。
手術痕として……生涯消えない傷となる。
病に闘った勲章と言えば聞こえがいいが、時に疼き、時に悩ますこともあるだろう。
どうか、どうか……雪也くんに心の平穏を。
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