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峠の先 18

 英国―― 「瑠衣、瑠衣、どこだー?」  朝から瑠衣の様子が変だった。どこか上の空で、もどかしそうな表情を浮かべていた。そして今……所在が不明だ。 「アーサー? 瑠衣ならきっと……敷地の一番端の、丘の上じゃないかしら」 「おばあ様はどうして、そう思われるのですか」 「それは、そこが一番……空にも日本にも近いからよ」 「なるほど、見てきます」 「待って、アーサー。あとで瑠衣と私の所に来なさい」 「はい、分かりました」  瑠衣はおばあ様が言われた通り、小高い丘の上で膝を抱えていた。  執事服のまま北風に揺れて、コートも着ずに震えていた。 「瑠衣、こらっ、風邪を引くだろう!」 「アーサー? どうしてここが……流石だね」 「うーん、残念ながら、おばあ様のアドバイスだよ」 「そうなの?」 「さぁ、まずはここに入ってくれ」 「でも……狭いよ」 「くっつけば、大丈夫だ」  俺のコートのボタンを外し、瑠衣を背後から包んでやった。  瑠衣はふぅ……っと小さな溜め息を吐き、俺に身を委ねてくれた。  何か……思い煩っているようだ。 「日本で何かあったのか。俺には全部話せよ」  瑠衣を抱きしめる力を強めて、促した。 「午前中ね、業務をしていたら、柊一さまからの手紙が届いたんだ。でも英国に到着するまでに、今回は何故か船便だったようで、随分日数がかかってしまっていて」 「うん?」 「……もう終わってしまったんだ」 「何がだ?」  瑠衣は俯いて、涙をぽとりと落とした。  お、おい? 泣くなよ。  その涙は後悔……それとも悲しみなのか。  いずれにせよ、喜ばしい涙ではなさそうだ。   「瑠衣、ちゃんと話せ。君の力になりたいんだ」 「実は……雪也さまの手術は、僕たちがぐっすりと眠っている間に終わってしまったようだ」 「え? そうだったのか」 「駆けつけられないにせよ。手術の時間は、せめて英国からお祈りしていたかったのに……」  悔しそうに呟く君を見て、無性に切なくなった。  俺が手術した時……君がずっと病院で待機してくれたのを思いだした。そして手術後、ずっと寄り添って支えてくれたのも。  君の存在が、どんなに心強かったことか。 「まずは日本に電話してみよう、なっ」 「アーサー……でも、もう僕は冬郷家の執事ではない。だから何の関係もない人間だ」 「瑠衣、そんなことないだろう? 赤ん坊の時からお世話をした雪也くんの心臓手術は、瑠衣に取って切り離せるものではないだろう」 「ごめん……僕……日本を想ってばかりで、ごめん」  腕の中で……瑠衣が小さく震え出した。  声を殺して、静かに泣いているのだ。 「瑠衣……馬鹿だな。日本は瑠衣の祖国だ。想うのは当たり前だろう」 「うっ……ううっ。君は優し過ぎるよ」  瑠衣が泣き止むまで、丘の上で抱きしめてやった。 「瑠衣、るーい、大丈夫だよ」 「う……ごめん……ごめんね」  瑠衣の温もりが愛おし過ぎて、寒くはなかった。  手術は当日も大変だが、術後はもっと大変だ。  俺も、経験したのでよく分かる。  まして雪也くんは心臓の手術で、もっと大がかりだったろう。  俺も苦しかったが、瑠衣がいてくれたから何とか乗り越えられたようなものだ。  雪也くん、ガンバレよ!  あぁ……瑠衣を雪也くんに会いに行かせてやりたいな。  そうだ、お見舞いに行かせてやりたい。柊一くんだけでは看病も大変だろう。瑠衣もおそらく手伝いたい気持ちを押し隠している。  さてと、何かいい方法はないだろうか。  俺は瑠衣を抱きしめながら、ぐるりと思案した。  

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