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羽ばたく力を 5
ここが雪也さまの病室だ。
術後三日目、ようやく集中治療室から出られ、海里の計らいで個室だと聞いて安堵した。幼い頃、入院はいつも特別室で、僕も泊まり込んで一晩中看病したのを思い出す。
なのにご両親亡き後は大部屋を余儀なくされ、治療費も薬代も払えず、大変苦労されたと知り、胸が切なくなった。
お小さくても気高く愛らしい……小公子のような雪也さま。
ご両親が亡くなられた時、僕はその事実すら知らず、何のお役にも立てなかったのを後悔している。だからこそ心臓の手術には立ち会いたかった。いや、それは柊一さまの優しい気遣いなのだから、有り難く受け止めよう。
しかしどうか術後の看病は、僕に……。
僕は彼らのご両親から、強い願いを託されていた。それを遂行させて欲しい。
『瑠衣、どうか雪也の手術が終わるまでは、ここにいてね』
『瑠衣、柊一のことを、いつも満遍なく気に掛けてくれてありがとう。私はあの子を厳しく育てねばならなかった。柊一も懸命に応えてくれるが、瑠衣の存在がなければ、あの子はあそこまで頑張れなかっただろう。私の代わりに、いつも柊一に温もりを届けてくれたお陰で、あの子は心の優しい子に育った。全部、瑠衣のお陰だ』
今考えれば、まるで死に急ぐような言葉だった。しかし……だからこそ、今度こそ、どうしてもお二人のお傍に付き添いたい、寄り添いたい。
柊一さまも雪也さまも、大切な僕の天使。
そして、もう一つ。
僕を幼い頃からずっと気に掛けてくれた兄、海里の窮地も救いたかった。
僕たちは外見も立場も全く違うが、互いが互いを尊敬しあっている。そして同じように同性に恋をした。
海里は柊一さまを、僕はアーサーを求めた。そんな部分でも、より深く理解しあえる関係になった。
久しぶりに会った海里の様子は、かなり辛そうだった。顔には出さないが、心身共に疲れ果てていた。
彼が心から愛する人の、一番大切な肉親の命を預かったのだから当然だろう。
命とは、それ程までに重たいものだ。
僕を見て、ようやく安堵の溜め息をつけた海里。高熱でうなされる中、僕の手を必死に掴んで下さった柊一さま。そして……今、目の前でまだ沢山の管につながれたまま眠る雪也さま。
僕は、この三人が愛おしい。愛おしくて愛おしくて、溜まらない。
アーサーに愛された僕は、愛というものがどんなに素晴らしいかを知っている。
そろそろ雪也さまが目覚める。
魔法をかけよう!
僕は雪也さまの枕元に置いてある兎のぬいぐるみを、そっと鞄にしまった。
これは僕の分身だから必要ないよね。
全部、柊一さまからお願いされたこと。
雪也さまの瞼が震えた時、僕はそっと耳元で囁いた。
「雪也さま。瑠衣が参りました。もう大丈夫ですよ」
「え……っ」
パチッと開いた黒い瞳に、僕が映った。
「瑠衣……? え……まさか……うそ……本物……なの?」
点滴の針の刺さった腕を、必死に持ち上げる雪也さま。
すぐに手を重ねて、僕の温もりを伝えた。
「瑠衣です。本物ですよ」
「う……兎が……変身……したの?」
「そうかもしれませんね」
「やっぱり……海里先生が……魔法をかけて下さったんだね」
「はい、魔法は彼の得意分野ですからね」
「なんて……なんてステキな……お兄様だけでなく僕にも魔法を……かけて下さるなんて……瑠衣、るい……あのね……いたくて……いたくて……ぐすっ」
どんどん幼い言葉に戻られる雪也さまの様子に、必死に我慢して頑張っていらしたのがひしひしと伝わり、僕も涙を浮かべた。
「手術の成功、おめでとうございます。本当によく頑張りました。立派でしたよ。さぁこれからは私もおそばに付き添いますから、安心して下さい」
「る……い、ありがとう。すごく……うれしい……本当は……さみしかったんだ」
「全部、分かっていますよ」
雪也さまなりに、いい子でいようと頑張っていらしたのだ。
「雪也さまが甘えて下さるの、嬉しいです。だから安心して……」
「うん……あり……がとう」
「さぁ、もうお小さい頃に戻っても大丈夫ですよ」
僕からも、言葉の魔法を。
「手術は成功しました。だから、これからの未来を、この先したいことを考えましょう。それから……声がまだ出にくいと思いますが、じきに良くなります。全身麻酔の影響なので、どこか悪いわけではありませんので、ご安心を。アーサーも術後、全く同じ状態でした」
「そ……なの? それ……きいて……安心した」
張り詰めていた心を溶かして、生きるための気力をどんどん養って欲しい。
僕が手助けをしたい。
それが雪也さまが生まれた日から、ずっと見守ってきた僕の、切なる願い。
「さぁ、執事の瑠衣が戻りました。何なりとお申し付け下さい」
「あぁ、夢みたい。ただ傍にいてくれたらいい……あと……お兄様の様子もみてきて欲しいんだ。今日……もしかしたら具合が悪いのかも。さっきから気になって……」
何とお優しいことを。
やはり、このご兄弟は天使だ。
こんなにも労り、想い合う、お優しい兄弟は滅多にいない。
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