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羽ばたく力を 8

「海里さん、お帰りさなさい」  冬郷家に戻ると、桂人とテツが仲良く出迎えてくれた。 「桂人、柊一の具合はどうだった?」 「えっと……夕食を少し召し上がって……寝た」 「ふっ」  桂人の不慣れな敬語に、一気に場が和らいだ。 「ケイト~執事服を着ていると瑠衣に似ているな! 色っぽいよ」  アーサーがおどけて言えば、桂人が目元を染めキッと睨む。 「むむ? 俺の瑠衣はそんな目つきはしないぞ」 「アーサーさん、俺の桂人に何か用か!」  テツがググッと前に出てくるのも愉快だ。    テツ……朴訥なお前がそんなことを言うなんてな。花と植物とばかり対話していたお前は、もはや桂人に骨抜きだ。  あぁ、ここには俺の居場所がある。改めてしみじみと思うことだ。 「海里、早く柊一の様子を見て来いよ。俺は風呂を借りるから」 「アーサー、悪いな。テツも桂人もありがとう」 「あ、あの……さ」 「なんだ? 桂人?」  桂人が心配そうな目で聞いてくる。 「雪也さんは……無事か、大丈夫なのか。傷を痛がって泣いてないか」  詰め寄るように聞いてくるのは、彼が本気で心配しているから。  彼が身体を切り裂かれる痛みを知っているから。    桂人、お前の足の腱の傷……どんなに苦しかったことか。 「あぁ……痛がっていたが、頑張っているよ」 「そうか……良かった。本当に……良かった」 「桂人? お前、足が痛いのか」 「……っ、痛くなんてない!」 「あ……そういえば日中、足を庇うようだった」  テツが教えてくれたので、桂人を椅子に座らせて足の具合を見た。 「ん? どうした? ここ、引っ掻いたのか」 「知らない!」  自分の脛の傷を消したいのか、何度も指で擦ったようで爛《ただ》れていた。 「桂人、お前はこの傷痕を消し去りたいのか」 「い、言うな!」 「雪也くんの容体が落ち着いたら、俺の治療を受けてみないか。ここを目立たないようにしてやりたい」 「そんなこと出来るのか……、あ、いや……おれには不要だ」  致命傷の傷痕を背負っているのが辛いのだろう。  それに彼の背中には、強い雨のようについた鞭痕が残っているのも知っている。 「……その気になったら、いつでも相談してくれ」 「あの……海里さん、桂人のことまで色々と心配してくれてありがとうございます」  テツが、深く頭を下げた。  テツも、きっとそうしてやりたいのだろう。愛しい人の身体に刻まれた悲しい過去を消してやりたい気持ち、分かるよ。 「その時は、テツの薬草の知恵も拝借するよ。またこの件については話そう」 「はい。柊一さんが寝汗をかいているかも……もう、行って下さい」 「あぁ」  皆が俺を送り出してくれる。  愛しい人の元へ行っていいよと優しく声をかけてくれる。    **** 「ん……今、何時だろう?」 カーテンを締め切っているので分からないが、もうすっかり暗くなったようだ。  そっと自分の額に手をあてると、朝のように熱くはなかった。 「だいぶ下がったようだ。よかった」  喉はまだ痛いけれども、朝起きた時よりも、ぐっと楽になった。 「あれは……夢ではなかった」    瑠衣が、英国から帰国して、真っ先にここに来てくれた。    執事服の瑠衣が僕を看病してくれた。    蜂蜜レモンのシャーベットとお粥は、どれも僕が幼い頃、お母様が作って下さり、食べると元気になったもの。それを全部瑠衣が受け継いでくれた。お母様はいつも雪也の看病で手一杯だったけれども、僕が熱を出せば、瑠衣が作って運んできてくれた。  だから僕は……孤独の寂しさから解放された。 瑠衣は今頃、雪也の元だろう 「ゆきも喜んだだろうな」  雪也も瑠衣が大好きだ。僕たち兄弟は、瑠衣に育てられたようなものだから。  少し体調が良くなると、寂しくなってしまった。  ただし……これは孤独ではなく、恋しさから湧いてくる感情だ。 「海里さん……」  溜まらずに、愛しい人の名を口に出してみた。  今の僕には、海里さんがいる。 「僕の王子さま、どこですか」  暗闇に手を伸ばせば……あの日のように扉が開いて光が射し込んで来た。 「柊一、大丈夫か」  あぁ、やはり……ここは『まるでおとぎ話の世界』だ。  手を伸ばせば、すぐに現れる王子様がいて下さるなんて夢のよう。 「海里さん……僕、とても会いたかったです」 「柊一、俺もだよ」  抱きしめてもらう。  まだ消毒液に匂いがする彼の胸に。  深く強く、しっかりと。 「お帰りなさい」 「ただいま」    

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