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羽ばたく力を 19

「アーサーさん、あの……ひとつだけ聞いてもいいですか」 「なんだい?」  雪也くんと二人きりで話す機会をもらった。  雪也くんと俺は手術を受けた者同士で、メスを入れられた身体の持ち主なのだ。 「僕の……心臓の傷……気持ち悪いですか」  とても小さく切ない声だった。   そうか……幼い君の不安は、そこにあるのか。  君は15歳、まだまだこれからの人生だ。  俺は……瑠衣と出会い、瑠衣と再会した後の手術だった。  それでもメスを入れられる前の身体を瑠衣に覚えておいて欲しくて、手術前に感傷的になったのを覚えている。術後は瑠衣に傷痕を見せるのを躊躇ったことも。 「気持ち悪いはずないだろう。それは病と闘った勲章だ」  俺の言葉が、横滑りしていくようだ。  違うな、この言葉ではない。  俺だから言える言葉があるはずだ。  たとえ雪也くんを驚かすことになっても―― 「なぁ、少しだけ大人の話をしようか。君はまだ未成年だが。もういろいろ知っているようだしね」 「……はい」  雪也くんは思い詰めた表情で、病院の白い天井を見つめた。 「恋をしたことは?」 「いいえ……まだ」 「でも……恋とは何か、愛とは何かを知っているな。同じ年代の子よりずっと」 「はい。兄さまや瑠衣の……生涯をかけた情熱的な恋をすぐ傍で見てきましたから」 「うん……そうだな。じゃあ……人と人が、どうやって愛し合うかも知っているね」 「……えぇ」  雪也くんは、少しだけ頬を染めたが、真剣な眼差しだった。  茶化したり誤魔化したりする場合ではない。 「いつか君も誰かに恋をするよ。すると二人は自然と……着ているものを全て脱ぎ捨て……生まれたままの姿で温もりを重ね合いたくなるんだ。その時に、胸の中央の傷は……残念だが残っているだろう。目立たなくはなっても、手術前のように何もない身体ではない」 「やっぱり……それが事実なんですね、こんな場所に傷痕があったら怖がられますよね……きっと」 「どうだろう? 君はまだ恋も愛も知らないから分からないだろうが、本気で愛しあえる人と出逢えば……そんなことは小さなことに思えるだろう」  俺と瑠衣の気持ちに、ここからは落とし込んで行く。一般論はいらない。 「勲章と言えば聞こえがいいが、ケロイド上の皮膚の盛り上がりには変わりない。そうだ。見てみるか、俺の傷を」 「見せてもらえるのですか」 「もちろんだ」  俺はシャツを開き、腹部を雪也くんに見せた。更に彼の幼い手を取って、直接触れてもらった。 「あ……」 「どうだ? 想像よりマシか」 「はい……今の僕はもっと酷いことになっているから……ドス黒く胸に棒が刺さっているようでグロテスクで気持ち悪くって……」 「分かる。俺も同じだったよ」  雪也くんが,今度は自分から僕の傷痕に触れてくる。 「手術して……1年? 2年ですか」 「2年は経っているよ、日に日に盛り上がりは平らに、色も肌色になって来た」 「そうなんだ、良かった。僕……しん……ぱいで」  雪也くんの語尾が、濡れていく、滲んでいく。 「あぁ……泣くな。大丈夫だから、ちゃんと、どんな君でも愛してくれる人と出会うよ」 「そうでしょうか、クスン……」 「あぁ、そうだな。きっと君を引っぱってくれる活発な子かもな」 「僕……そういう子……好みです」  涙を流しながら、雪也くんが将来の夢を話し出す。  それが嬉しかった。 「大丈夫、君はまだ15歳だろう。深い肉体関係を持つ頃には、もうそんなに目立たないよ」 「あ、アーサーさんってば! 照れます」 「ははっ、瑠衣には内緒だぞ。男同士の秘密だ」 「えっ、瑠衣も男なのに?」 「しっ、今の話は瑠衣には内緒な」  ウィンクして微笑むと、雪也くんが残念そうに首を横に振った。 「ん? 内緒にしてくれないのか」 「くすっ、アーサーさんってば、もう筒抜けですよ」  振り返ると海里と瑠衣が仲良く立っていた。(いや瑠衣の目が冷ややかだ) 「アーサー、いいかい?」 「あ、あぁ」 「僕も男だよ」 「瑠衣! アーサーさんを叱らないで」 「ゆ、雪也さま、私はそんなに恐ろしい男ではありませんよ」 「でも、今の瑠衣の目……刀のようにシャープで冷や汗が出そう」 「そ、そんな……」  緊張した場が、和やかになっていく。  和やかな世界はいい。心穏やかに、治療に専念できるからな。 「さぁ雪也さま、身体を拭きましょう。今日はもう大丈夫ですか」 「うん。気持ちが晴れたよ。昨日は癇癪を起こしてごめんなさい」 「いいえ、お気持ち察せず……すみません。私のことなら、大丈夫ですよ」  ニコッと微笑む瑠衣は、天使ようだった。(あぁ可愛いなぁ) 「やっぱり瑠衣は笑っていた方がいいよ。アーサーさんはちょっとやんちゃだけど、瑠衣に本当にお似合いだね」 やんちゃ……? ははっ、参ったな。 それ図星だ!    

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