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大きな翼 4

「テツ、ちょっといいか」 「珍しいですね。海里さんがここまで来るなんて」 「実は、頼みがあってな」  冬郷家には、俺が森宮家から引き抜いた有能な庭師、テツがいる。  彼と俺とは15歳から同じ敷地で育ったので、幼馴染みのようなものだ。  だから困った時は、何でも相談出来る貴重な相手なのさ。 「今度は何をご所望ですか。あの媚薬の件なら、俺の責任じゃありませんよ」 「ははっ、あれはもうお互いに忘れよう。互いに醜態を見せることになった」  以前、テツが桂人の身体を温めるために作った媚薬を、何故か柊一がお菓子に混ぜてしまい、バレンタインの日の夜から朝にかけて大変なことになった。  味見をした柊一も酔い、食べた俺も酔ってしまった。  そういうテツと桂人も媚薬を使い相当濃厚な夜を過ごしたらしく、翌日顔を合わせるのも憚られる程だった。桂人の白い肌に散らばる花弁は、執事服で隠しきれない場所にまでつけられて、大変なことになっていたからな。  そういう俺も柊一が翌朝鏡を見て絶句するほど、体中に散らしてしまったが。  テツの媚薬は最高だ。機会があればまたいつか入手したいものだ。   「海里さん、何をニヤニヤしているんですか。媚薬でなければ、一体何が欲しいんです?」 「テツは精油にも詳しかったよな」 「まぁ……そうですが」 「じゃあ柊一が好みそうな香りを作ってくれないか」 「また急な」 「頼むよ」  心を込めてお願いをした。  柊一には市販の香水臭いものは似合わない。もっと新鮮で自然な香りがいい。   「頼む。英国に行くまでに間に合わせて欲しい」 「海里さんが頭を下げるなんて、よして下さいよ。どうしてそんなに急ぐのですか」 「柊一は海外は初めてだ。彼は元々、箱入り息子で、大事に温室で育てられた青年で……だから飛行機に乗った経験もないんだよ。今頃どんなに緊張しているか。なぁ香りは心の強張りを紐解くエッセンスなんだろ? どうか柊一のために作ってくれ」  テツは庭の花々の香りを、精油というのものに変換させる達人だ。 「分かりました。イメージは浮かぶので、ご所望通り作ってみます」 「頼んだぞ」  英国に行くにあたり、雪也くんのお土産ばかりスーツケースに詰めて嬉しそうにしている柊一は、自分のことに無頓着過ぎる。  そんな君の準備を整えるのが、俺の役目だ。  愛しい人のために出来ることがあるのが、とても嬉しい。 ****  英国・ノーサンプトンシャーのマナーハウス。 「瑠衣、ちょっと落ち着けって」 「落ち着いてなんていられません。柊一さまが英国にいらっしゃるなんて、まだ信じられません」 「その口調……もう執事モードになっているな」  瑠衣は朝から、いや、もう1週間前から、そわそわしている。 彼らが泊まる部屋の寝具を選んだり、柊一くんの好きそうな本を揃えたりと頭の中が柊一一色になっているようだ。  なんだか……俺、少し寂しくなってきた。 「……くぅ……ん」 「えっ……今、何かが鳴いた? 犬なんて……いたかな?」 「俺だよ。きゅう……ん」  切ない犬の鳴き真似をすると、瑠衣が目を丸くした。 「瑠衣が構ってくれないから、寂しいんだ」 「あぁ……アーサー、ごめん、そんなつもりじゃ」  瑠衣は焦った様子で、パタパタと俺の元に戻ってくる。  分かっているさ、瑠衣はいつだって俺だけを見ている。  ただ……持って生まれた彼の性分で、お世話好きなだけ。 「ごめんね。アーサーが一番だよ。そんな思いさせてごめん。ね、機嫌を直して?」 「じゃあ、もうベッドに行こう」 「え……まだこんなに明るいのに? だ、駄目だよ」 「そうか……キューン」 「あぁもうっ、そんなに可愛い声を出さないで。僕が可愛いものに弱いのを知っているくせに」  うーむ……やはり自分がとても可愛いモノになってしまった気がするが、愛しい瑠衣を白昼堂々抱くために、一肌脱ごう。しかし俺のこんな姿、海里には絶対に見せられないよな。  まぁ、ここは俺たちだけのwonderlandだから、いいだろう!   「瑠衣、その気になってくれたのか」 「……うん……あの、カーテンを閉めてくるよ」  慎ましい君は、カーテンを隙間なくぴっちりと閉めて、真面目な面持ちで戻ってくる。  こんな時間から閉めたら、かえって怪しいのに。  でも……そんな奥ゆかしい所が大好きだ。 「おいで、瑠衣」 「アーサー、僕のアーサー」    

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