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大きな翼 5

「海里さん、お待たせしました」 「おぉ、間に合ったのか」 「間に合わせましたよ。どうですか。 香水より軽いフレグランス・ミスト風に仕上げてみました」 「いいね」    シュッと自分に吹きかけてみると、トップはジューシーなレモンやライム、グレープフルーツなどのシトラスに、スペアミントを添えたフレッシュテイストだった。 「これは……煌めく海上を旅しているような感覚に包まれるね」 「流石、分かっていただけましたか。海里さんの名前からのイメージですよ。旅は旅でも船旅を意識してみました」 「ミドルは、透明感のあるフローラルノートで、穏やかな白薔薇の香りだな」 「その通りですよ。今度は柊一さんをイメージした香りで、潜在的な優しさを表現してみましたよ。ご希望通りに、白薔薇に少しジャスミンとミントも混ぜました」  テツがにやりと不敵に笑う。 「ちなみにラストのウッディムスクにはスモーキーなアクセントを加え、セクシーさを持たせてみました」  俺と柊一の香りが絡み合う香りか。  それは二人が身体を重ねる時に発生する香りのことだから、とても官能的だ。 「最高だな。これに名前をつけてくれ」 「俺はセンスないから、海里さんがつけて、贈るといいですよ」 「そうか……じゃあ『マリンクルーズ』はどうだ?」 「いいですね。まさに旅行をテーマに作ったので、ぴったりかと」 「ありがとう。テツ! そうだ、ちゃんと桂人にも作ってやれよ」  そう言うとテツはポカンとした顔をしていた。 「お前は疎いなぁ。男心を察してやれよ」 「はぁ」    ポリポリと頭を掻きむしる様子に、俺は思わず微笑んだ。 「お前の朴訥なところ、好きだよ。留守中は全面的にお前達にこの屋敷を任せるよ」  飾り気がなく無口で……実直で素朴なテツ。    昔、森宮の館で他人を信じられなかった俺が信じられたのは、テツと執事の田村だけだったよ。  そう言えば、兄貴とも最近は上手くいくようになった。  あの鎮守の森事件以降、霧が晴れたように、兄の心にも平穏が戻ってきたから。  柊一と英国旅行に行くと言ったら、羨ましがっていたな。 ****  まだ日も高いのに、僕は家の仕事を投げ出して、ベッドに潜ってしまった。 「瑠衣、抱いていいのか」 「まだ駄目だよ」 「何故?」 「さっきのを、もう一度やって」 「へ?」  白昼堂々と僕を抱こうとするアーサーに少しだけ意地悪をしたくなった。  ベッドで今にも僕に襲いかかりそうなアーサーの背中をあやすように撫でて、耳元で甘く囁いた。 「ね? 駄目かな?」 「うーむ、瑠衣もしてくれたらやる」 「何を?」 「だから、『きゅーん』とか『くぅーん』だよ」 「え? 僕には、そんなこと無理だよ」 「じゃあ、猫は? 猫ならハードルが低いだろう? 頼む」 「そういう問題じゃ……」 「よーし、これならどうだ」 「え?」  いきなりアーサーが何かを枕元から取り出して、僕の頭につけた。 「何、これ?」 「やっぱり似合うな」  手で触ると、モコモコふわふわな感触だった。 「あ……可愛い、モコモコだね」  しまった! 僕はこういう感触にとても弱い。 「だろ? 黒猫のカチューシャだよ」 「も、もう、君って人は」 「な? 瑠衣、鳴いてみてくれよ。俺だって恥を捨てて鳴いたんだ」  英国貴族のアーサーが、確かになりふり構わず鳴いていた。 「……一度だけだよ」  アーサーのアッシュブロンドが、カーテンの隙間から少しだけ漏れた光に照らされて、天使のようにキラキラと輝いて見えた。 「君の髪は……まるでライオンのようだよ」 「瑠衣は、ライオンに抱かれる子猫ちゃんだ」  君が僕の唇を撫でていく。その指先が少し乾いていたので、条件反射のようにペロッと舐めてしまった。  そして思い切って「にゃあ……」と鳴いてみた。 「うう、可愛い……あぁもう最高だ!」  その後はもうもう、散々啼かされた。 「あっ、駄目だ、駄目……! そんなにつけたら」 「じっとして」  見えない部分に沢山、痕をつけられた。 「どうして……?」 「俺のやきもちだ、すまない」 「ふっ……アーサー 何を恐れる? 君はいつも百獣の王のように輝いているのに」 「瑠衣の前では、ただの一人の男だよ」 「あ……僕も……君の前では……ただ、ただ君を愛している男だよ」  僕たちは絡み合って、一つになっていく。  きっと今頃、海里と柊一さまも睦み合っているのだろう。  互いの香を移し合うような、深い逢瀬を―  

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