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大きな翼 8
「春子? どうして……」
「だって……換気のために窓を開けたら、金木犀の香りがしたから」
「え?」
「冬なのに……とても懐かしい香りがして」
「あっ」
それは……出掛けにテツさんが俺につけてくれた香りのことだ。
……
「じゃあテツさん、おれ、いってくるよ」
「桂人、ちょっと待て」
手首にシュッと液体を拭きかけられた。
「何?」
「海里さんに二人をイメージしたオーデコロンを作ったのだ。で……俺たちのも作りたくなった」
「これは、おれたち?」
「そうだ。いい香りだろう? 秋に金木犀の香りを採取しておいたんだ」
「あ……これ、すごく好きだ」
「桂人のための香りだ」
テツさんが……おれのために何かしてくれるのが好きだ。
嬉しくて思わず、抱きついてしまった。
「俺はウッディな香りにしたよ」
「テツさんは、おれの森だ……だからぴったりだ」
……
「お兄ちゃん? もう、またぼんやりして……」
「ごめん。春子、急に会いに来て……ごめんな」
「ううん。春子もすごく会いたかった。やっぱり我慢できなかったよ」
数ヶ月ぶりに会う春子は、少し背丈が伸びていた。
黒髪も伸びて、身なりも良家の子女らしく整っていた。
「あの……な」
「なあに?」
「これを持って来たんだ」
ポケットから頑張って銀座の百貨店で購入したリップクリームを渡すと、春子は目を丸くして驚いた。
「え?ええ……お兄ちゃんが、これを?」
「……いらないか」
「ううん! 嬉し過ぎて息が止まりそう。これって有名なところのよね」
「知っているのか」
「うん……おばあ様が教えてくれて」
「そうか……この家でよくして貰っているんだな」
「うん。安心して」
春子がふわりと俺に抱きついてくれたので、照れ臭くなった。
「お、おい」
「えへへ、お兄ちゃん……ひとつ聞いてもいい?」
急に春子の顔が真顔になった。
「どうした?」
「あのね……雪くんは元気かなって」
「あぁ……彼は留学したよ」
「りゅうがく……?」
「イギリスという国で勉強している」
春子が息を呑む。
「そんなに遠くに……? も、戻ってくるわよね?」
「あぁ、春子と同じ頃に、またお屋敷に戻ってくるよ」
「そうなんだ。良かった。でも……あの雪くんが家を出るなんて思いもしなかったわ」
「彼は外見よりずっとしっかりしているよ。辛い病も乗り越えたし精神が強いんだ」
「うん、そうかもしれないわ。よーし、私も頑張るね」
「あぁ、春子……しっかりやれ。おれはいつも応援しているから」
「うん! ありがとう。お兄ちゃん、せっかくだから上がっていって」
「いや、もうこれで帰るよ」
「そうなの?」
「また……ここで会えるか」
そう問うと、春子は春の女神のように笑ってくれた。
「もちろんよ。あの……また雪くんの話も聞かせてね」
「あぁ、実は……今日から柊一さんと海里さんが英国に会いに行ったんだ」
「あ……だから、お兄ちゃんがここに来てくれたのね」
そうだ。柊一さんが弟に会いたくて溜まらなかったように、俺は春子に会いたくて溜まらなかったから。
「お兄ちゃん、私のお兄ちゃん……ありがとう」
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