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大きな翼 11

一点の曇りもない青空。 そこを通り抜けていく白い物体。 あれを飛行機と呼ぶのか。 信じられないな、あんな重たそうなものが空を飛ぶなんて。 春子の家からの帰り道、空を見上げて、憧れにも似た気持ちを抱いた。 遠い昔、幼い妹と手を繋いで、よく空を見上げていた。 「にーたま、あの雲をとってよ」 「……届かないよ」 「えー、あまくておいしそうなのに。夜店のわたがしでできているみたい。一度でいいから食べてみたいな」 「いつか、たらふく食べさせてやるよ」 「うん! きっとよ」  今の春子は、幸せだ。上流階級の家で、毎日丁寧な暮らしをしている。  日々、甘いもの、美味しいものも食べているのだろう。  だから最初は甘いものをお土産にと思ったが、リップを選んでいた。 「春子の幸せを……心から願っている」 ふと自分の爪が目に入った。  あの社で生きてきた頃とは別物だ。  血色が良く、綺麗に丸いカーブで切り揃えられている。    おれは執事という仕事に就いてから、身だしなみを整えることを知った。  これは瑠衣さんから教え込まれたことだが、指先には特に気を遣うようにしている。  柊一さんの肌は白雪のように薄く繊細だから、うっかり傷つけないように。  だからテツさんがいつも綺麗に爪を切ってくれるのだ。  馬鹿丁寧に磨かれた艶やかな手先は、かつての自分とは雲泥の差だ。  それに……テツさんと暮らすようになってから、身体にいろんなクリームを塗りたくられているせいか、どこもかしこもしっとり珠のように輝いている。 「あ……あの」  家の近くまで戻ると、急に女性の声がして呼び止められた。  振り返ると、春子くらいのお下げの少女が顔を真っ赤にして立っていた。 「あの、これ!」 「え?」  白い封筒を手渡されて不思議に思っていると、少女は消えていた。  辺りをキョロキョロと見回していると、代わりに白江さんがやってきた。 「ふふっ、桂人くんはLove Letterは初めて?」 「?」 「あぁ恋文のことよ」 「……」 「あなた、本当に格好良くなったものね、モテるのも分かるわ」 「……これ、どうしたら?」  白江さんが手紙を見て、教えてくれた。   「まぁファンレターのようなものみたいね」 「ファン?」 「ふふ、あ、ほら、テツさんが見てるわ」 「もう行く!」 「あ、この手紙は」 「いい!」 「酷い人ねぇ」  おれには何もいらない。  欲しいのはテツさんだけだから! 「テツさん、ただいま!」 「桂人、いいのか」 「何が?」 「……お前、本当に美青年になったな」 「何を?」 「そういうクールな所もいい」  その晩、俺はテツさんによって手の先、足の先までクリームで手入れしてもらった。 「いい香りだろう?」 「金木犀の香りか」 「そうだ。いろいろ作ってみた」 「春子が褒めていたよ」 「そうか」  テツさんの手は温かく、マッサージされている間に、うとうとと眠ってしまった。  しんしんと降り積もる雪。  寒さに震える俺の身体を優しく擦ってくれるのは、懐かしいばばちゃの手だ。   「ばばちゃ?」 「あぁ……よしよし、お前はめんこいなぁ」    その瞬間にパチッと目覚めた。  涙が頬を伝った。  大好きなばばちゃの夢を見られたのは、テツさんのおかげだ。 「テツさん……どこだ?」  暖炉の前で書物を読んでいたテツさんが、すぐに駆けつけてくれた。 「どうした? 泣いたのか」 「優しい夢を見て……」 「そうか」 「テツさん……抱きしめてほしい」  その晩、よく手入れされた身体をテツさんに、じっくりと味わってもらった。 「そうか……」 「うん?」 「いや……手入れって……される方も、する方も……気持ちいいんだな」 「そうだな。愛しい人の身体だからな」 「おれの身体を大事にしてくれてありがとう」  今頃、ふたりは空の上。  おれたちは地上のゆりかごに揺られ、海里さんと柊一さんは宇宙のゆりかごに。  優しく揺らすのは、いつの世も……愛しい人の手だ。    

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