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霧の浪漫旅行 16
「なぁ、せっかくのダブルデートだ。列車に乗る前に、軽く食事をしないか。Pub《パブ》に行ってみないか。柊一はどう思う?」
先頭を切って歩くアーサーさんが、振り返ってウィンクした。
僕は途端にワクワクした気持ちになり、海里さんを見上げると、優しく微笑んでくれた。
もっともっと、日本では出来ないことがしたい。
それは海里さんも僕も、同じなんだ。
「あの……パブとは、何ですか」
「あぁそうか。えっとな、18世紀のイギリスの町には|public house《公共の家》と呼ばれるものがあって、集会場や社交場、結婚式を開く場所として使われていたんだ。それが進化してパブという名前が一般化したんだよ。まぁ平たく言えば、お酒を飲みながら、軽く寛ぐ場所さ」
「是非、行ってみたいです」
「そうこなくちゃ! それに今日行く場所は特別さ」
「?」
「案内するよ」
石畳の小径を歩くと、壁から突き出た棒に木の看板がぶら下がっていた。
『jack』
「ここは少し特殊な店だよ」
「?」
入ってみて驚いた。
見事に……男性しかいない。
「アーサーの隠れ家か」
「海里は来たことないのか」
「ロンドンにもあるんだな」
こんな大人っぽい場所には来たことがないので、ドキドキした。
「柊一、俺から離れてはいけないよ。手を繋いでいよう、俺たちはカップルだって示さないとな」
「でっ、ですが」
「ふっ、ここでフリーだ」
海里さんと手を繋いで店内に入ると、皆、思い思いに寛いで、いい雰囲気だった。どうやら、ここでは同性でも気兼ねなく、スキンシップしながらお酒や食事を楽しめるらしい。
僕にとって初めての経験だ。
「クラフトビールでいいかい?」
「あ、はい」
アーサーと瑠衣を見ると、とても慣れた様子で、二人で壁にもたれてビールを飲んで談笑していた。
瑠衣ってば、立ち飲みなんてして。
なんだか色っぽいな。
「あの、海里さん、椅子がないですが……」
「あぁ、ここではスタンディングがメインなんだよ」
「えぇ?」
「椅子もカウンター近くにあることはあるが、基本は立ち飲みで、店内のどこでも自由に過ごすのがいいんだ」
「初めてです。立って食事をするなんて」
「今日は、柊一の初めてばかりもらえて幸せだよ」
「は、はい」
世の中には、僕の知らない世界がまだまだあるようだ。
ずっと日本の冬郷家にいたら知らなかった世界だ。
「さぁ、これをつまみに」
「こ、これは?」
「イギリスの代表的な家庭料理『フィッシュ&チップス』だよ。魚は鱈で、フリッターに近いサクサクな衣で揚げられているんだ。ちなみにチップスはポテトで、こうやって好きなだけ塩とモルトビネガーをかけて食べるんだよ」
「なるほど、分かりました」
立ったまま食事をするのも、初めての食べ物も緊張する。
「柊一、もっと傍においで」
海里さんが僕の腰を抱いて甘く囁いて下さるから、緊張を上回るドキドキ感に包まれていた。
「か、海里さん……ここは外で、見られてしまいます」
「皆、思い思いに寛いでいるよ」
見渡せば、瑠衣とアーサーも寄り添って佇み、今にもキスしそうな程、顔が近かった。
僕と海里さんの距離も、気付けばとても近い。
「あ……あの」
「え?」
僕はそっと背伸びして、海里さんの頬にチュッとキスをしてみた。
「柊一!?」
「一度……外でしてみたかったんです」
「参ったな、君は時々とても大胆になる」
「あ……ダーツだ。海里さん僕と対戦しませんか」
「やったことはあるのか」
「ないですが『賭け事』というものを、してみたいんです」
「俺が勝ったら?」
「負けた人は勝った人の言うことを聞きます」
「柊一、それって……つまり、いいのかい?」
「えぇ……今晩……好きにしてください」
僕にしては大胆な甘い誘い。
場の雰囲気に当てられたのか、身体の奥が疼いていた。
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