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霧の浪漫旅行 21
「間もなく到着だ」
「そうか」
肩にもたれていた柊一は、今は俺の腕の中にいる。
「海里たちの荷物は、俺たちが持つよ」
アーサーと瑠衣が手分けして持ってくれた。
「車が迎えに来ているから、そのまま移動するといい」
「あぁ」
柊一を勿忘草色のブランケットですっぽりと包み、俗に言うお姫様抱っこをしてやった。
疲労困憊の柊一は、抱き上げても目覚めない。
おそらく疲れた身体に、ビールを飲んだせいだろう。
こうなるのは分かっていたが、Pubで楽しそうに過ごす君を止められなかった。
大胆に俺にキスをしてくれた君が、愛おし過ぎて―
「きっと、今頃いい夢を見ているんだな」
「あぁ」
「着いたら、おとぎ話の世界だ。喜ぶだろうな」
「数日、世話になる」
「ロンドンの伯爵家は緊張しただろうが、ノーサンプトンシャーは俺のテリトリーだ。気ままに過ごせよ」
「助かるよ」
ロンドン観光の後、そのまま英国全土を周遊する旅も考えたが、柊一の体力では持ちそうもないと判断し、アーサーと瑠衣の館に滞在することを選んだ。
別荘で寛ぐように過ごすことで、計画は落ち着いた。
駅前にはアーサーの運転手が迎えに来ていたので、速やかに移動できた。
窓の外には、英国の月が浮かんでいた。
月明かりが照らす木立の道を、真っ直ぐに走り抜けた。
「今日ももう遅い。おばさまはもう眠ってしまったから、挨拶は明日にしよう」
「分かった」
「コテージには暖炉もあって温めてある。何不自由なく過ごせるように、瑠衣と準備しておいたから、ゆっくりしてくれ」
「ありがとう。恩に着る!」
****
日本。
冬郷家の屋敷。
「桂人、そんなところで何をしている?」
「……月を見ていたんだ」
「何故?」
「なぁテツさん、月って、この世に本当にひとつしかないのか」
「そうだ」
「じゃあイギリスで見える月も、あの月なのか」
「あぁ」
「……ふぅん」
桂人は眩しそうに目を細めて、また空を仰いだ。
美しい顔に、月光が艶めきを与えてくれる。
「桂人……どうした?」
チュッと薄く開いた唇に口づけを落とすと、桂人が漏らした言葉は切なかった。
「社に閉じ込められていた頃、夜が怖かった」
「……」
「月はオレを慰めてくれたが、月のない夜は真っ暗だった」
「そうだったな」
「今は、こんなに明るい場所で、こんなに豊かな暮らしをしている自分が、眩しいんだ」
「もう充分、桂人は苦労した。一生分の苦労をしたんだ」
「おれは……まだ幸せに慣れない」
幸せに臆病な桂人は、幸せ過ぎると不安になってしまう。
これはすぐに治るものではないので、そんな時は俺が幸せで上書きをしてやる。
海里さんと柊一さんが留守の間、俺たちは使用人部屋ではなく母屋に宿泊するように言われていた。客間に滞在するように指示されていた。
天蓋付のベッドに執事服の桂人を沈め、タイを抜き取った。
「今日はもう店じまいだ。俺だけの桂人に戻れ」
「だが……」
「俺たちにも、夜は必要だ」
俺をじっと見上げる桂人の、白シャツのボタンを外し、白い胸の飾りに恭しく口づけて、身体を開いてもいいかと合図を送る。
返事は、朱に染まる身体がしてくれる。
力を抜いた身体が、答えてくれる。
「桂人……抱くぞ」
「あぁ、テツさん。あなたに抱かれると……これでいいと思えるんだ」
「桂人の居場所はここだ」
「んっ……」
「昔は……丈夫な身体が恨めしかった。どんなに傷ついても回復してしまう身体が疎ましかったんだ」
「桂人……」
全裸にした桂人を抱き寄せてやる。
俺は……桂人の薄く筋肉のついた凜々しい身体に、激しく欲情する。
「桂人……人が傷つく場所は身体だけじゃない」
「どういう意味だ?」
「ここが深く傷ついたはずだ」
そっと彼の心臓の位置を撫でてやる。
「桂人の場合……心がその分、傷ついていたんだ」
「テツさん……あぁ、テツさんはおれの全てを理解してくれるんだな。だから好きだ……おれを抱いてくれよ。今宵も深く、強く……零れ落ちないように」
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