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霧の浪漫旅行 23

「春子、好きなのを選んでいいわよ」 「奥さま、ありがとうございます」  色とりどりの便箋に心を奪われた。  私が生まれ育った故郷には、こんな美しい紙は存在しなかったから。  お兄ちゃんも私も学校にろくに通えず、苦労した。 「どうしたの? 気に入らない」 「とんでもないです。素敵過ぎて……迷ってしまいます」 「春子には立派なレディになって欲しいの。私はあなたのおばあちゃまくらいの年齢だから、孫のように可愛いと思っているのよ。ねぇ、この前の話のことだけど……考えてみてくれた?」 「あ……はい……でも……」   白江さんのピアノ講師を長年されていた奥さまには、ご主人も子供もいない。だから私を養女にしたいと言って下さっているの。  そんな有り難い話はない。  それは分かっているけれども、快諾出来ないのには理由がある。 「もしかして、春子ちゃんは、養女になった途端に無理矢理お見合い結婚をさせられると思っているの?」 「えっ……えっと……」 「まぁ、図星なのね」 「……すみません。私なんかが……おこがましいことを」 「とんでもないわ。春子ちゃん、自分を卑下しては駄目よ」  奥さまが優しい瞳で、私を見つめて下さる。 「私の時代はお見合い結婚が当たり前だったの。私は自由に恋愛して結婚したかったのに。春子ちゃんならそれを叶えてくれるのでは? だから夢を託したいの」 「奥さま……本当にそんな夢みたいな夢を私に?」 「あなたは、大きく羽ばたく子よ。私には分かるの。だからもっとあなたに投資したいのよ。このまま私の養女になって……大学にも通っていいのよ。勉強も恋愛も自由にしていいの」  奥さまが、大きな夢を下さった。  故郷にいたら無理矢理結婚させられ、すごい勢いで妊娠させられ……子を成す道具のように扱われていただろう。 「私でよろしいのですか」 「春子ちゃんだからなのよ」 「ありがたいお言葉です。兄に相談してきます」 「是非、そうして」  私は伊西屋で、雪の結晶柄の透かし和紙で出来た便箋と、月模様の物を買って貰った。  これで雪也くんと、お兄ちゃんに手紙を書くわ。  頑なに会わないと決めた心とは、もうさよなら。  二人に会いたいから、まずは手紙を書こう。  私の今を知って欲しいから、手紙を書こう。  雪也くんは出会った時はまだ弱々しい少年風だったけれども、英国でもまれて……大人になって帰ってくるのでしょうね。  そんな予感がするわ。  私も負けていられないわ。  素敵なレディになるわ。  知識も教養も人間性も、もっともっと磨きたい。 ****  London 「雪也は、ガールフレンドいる?」 「……好きな人ならいる」 「ヒュー、かっこいいな」 「素直な気持ちなんだ」  クラスメイトは、僕の素直な言葉に頬を赤らめていた。 「なんか、雪也って見た目より、大人びているんだな」 「そうかな? でも離れているからもどかしいよ」 「日本にいるのか」 「そうなんだ」  ピアノの先生のお宅に、住み込みで働くことになった春子ちゃん。  生き生きとした彼女の表情を思い浮かべる。 「じゃあLove Letterを出しているんだな」 「え?」 「出してないの? 離れていると、いろいろ不安だろう。だから手紙を書いて、言葉で相手の心を伺い、手繰り寄せるんだ」 「それって……ただ心で思っているだけじゃ駄目ってことか」 「あぁ、そういうこと。伝えたいことがあるのなら、その都度ちゃんと伝えるほうがいい」 「確かに!」  白江さんなら……春子ちゃんの住所を知っているだろう。  よし! Love Letterを書こう!  兄さまと海里先生。  桂人さんとテツさん。  瑠衣とアーサーさん。  人と人を結ぶ愛がどんなに素晴らしいものか、僕は知っている。 だから春子ちゃんへの思いの丈を込めてみよう。  この真っ白な便箋に、したためよう。

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