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第2話
◆ ◆ ◆
正確な時間の経過は、今となってはよくわからない。
でもたぶん、あれは今から一週間ほど前の出来事だったのだと思う。
今いるこの謎めいた異世界ではなく、圭が生まれ育ち、ごく平凡に暮らしてきた現実世界での一週間、という意味だ。
民間警備会社の警備員の職に就いていた圭は、東京湾の港湾部、某所にある倉庫の、警備の任に当たっていた。その日はちょうど夜勤で、警備員の詰め所で仮眠を取っていたところだった。
「なんだ、こりゃっ?」
港の奥まった場所にある倉庫で、誰かが暴れているようだと連絡を受けて、圭はいち早く駆けつけた。警察が来る前に様子だけでも見ておこうと思ったからだが、そこで見たのは奇妙な光景だった。
――――大きなトカゲか、イグアナの死骸。
倉庫の床にいくつか転がっていた物体を見て、圭は最初そう思った。
だがその頭には人間の顔がついていて、体には衣服らしきものもまとっている。映画か何かの撮影でもしているのかと見回したが、そんな様子はない。
自分は一体何を見ているのだろうと、いくらか混乱しかけたとき。
「っ……!」
ギイ、ギイ、と何やら耳障りな音と、誰かの足音が聞こえてきたので、圭は反射的に物陰に隠れた。
するとそこに、先ほどの奇妙な物体と同じ種類の生き物が数体やってきて、辺りを物色し始めたのだ。
(なんなんだ、こいつらはっ?)
人間の顔に、オオトカゲみたいな手足。腰からは爬虫類じみた尾が突き出ていて、背中にはコウモリのそれを大きくしたみたいな翼がついている。
そろいの衣服を着ているが、首や頭には鱗のようなものも見え、鉤爪みたいな手には大きな槍を持っていた。
フィクションの世界でしか見たことのない、まったく理解不能な生物が、ギイギイと音を立てながら歩き回っている光景。
あまりにも異様すぎて、夢でも見ているのかと疑ってしまう。
やがてギイギイという音が彼らが発する言語のようだと気づき、足が震えてきた。
彼らが言葉で意思を伝え合う高等生物なら、何か目的があってここにいるのだろう。見つかったら、容赦なく殺されるのでは……。
「……そこにいては見つかる。こっちに来て」
不意にか細い声が届いたから、心臓が飛び出しそうになる。
若い、というよりは幼い、女の子の声だ。注意深く周りを見回すと――――。
「……!」
圭が隠れた物陰の、さらに奥。
倉庫の壁にもたれかかるように、少女が座っているのが見えた。
まるで民族衣装のような、少し変わった服装。
黒く長い髪と黒い瞳、顔立ちなどは日本人ふうだが、前髪を真ん中でわけて耳の横で結い、花のような髪飾りをつけた髪型は、あまり見ないものだ。首につけたチョーカーふうの飾りも、少し変わったデザインのように見える。
一体何者なのだろうと思いながら、圭は音を立てぬよう静かに近づき、膝をついて屈んだ。すると微かに血の匂いがしたから、慌てて声を潜めて訊いた。
「きみ、怪我をっ……?」
「うん。私、もう駄目みたい」
少女が、苦しそうに小声で言う。
よく見てみると、胸の辺りに大きな裂け目があり、真っ赤に染まっている。救急車を呼ばなくてはと、そう言おうとした途端。
「なっ……?」
少女の体がぼんやりと黄色く光り出し、その光が圭をも包み始めたから、驚いて叫びそうになった。少女が静かにこちらを見上げて言う。
「もう、普通に声を出しても大丈夫。この『護りの光』の中に入れば、向こうの竜人兵には声が届かないから」
「りゅうじん、へい?」
聞き慣れぬ言葉に首を捻る。少女はかまわず話を続けた。
「私のお願いを、聞いてほしいのだけど」
「お願いって、俺に?」
「そう。私はもうじき、死ぬから」
そんなことはない、しっかりしろと言いたかったが、少女の決然とした目に遮られる。
噛んで含めるように、少女が言う。
「あそこで歩き回っているのは、竜人。竜と人間の血を引く、異世界の種族よ」
「い、せかいって……? まさか異世界の、ことか?」
「竜と人間も少しだけ住んでいるの。こっちに戻ってきたとき、私のお供もいたんだけど、みんな殺されてしまった」
少女が何を言っているのかさっぱりだが、もしや倉庫の床のオオトカゲの死骸のようなあれのことを言っているのか。
でも、異世界だとか竜だとか、とてもまともな精神状態とは思えない。絶句していると、少女がふふ、と笑った。
「信じてないのね? でも、ごめんなさい、ちゃんと説明している時間がないの」
そう言って少女が、つらそうな声で続ける。
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