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第4話

 圭にとっての現実世界から、異世界へと飛ばされる間、実際に何が起こっていたのか。自分の意識や体がどうなっていたのか。  それを正確に思い出すことは難しい。グニャグニャに歪んだ時空を質量のないものになって漂っていた、というのが近いだろうか。  気づけば圭は、荒涼とした平原に倒れていた。  最初に感じたのは乾いた空気で、見上げた空は曇天。東京から少し郊外に行けばこんな感じのところはあるなと思える、至って特徴のない場所だった。  でも、そう思えたのはほんの短い時間だった。この世界、レシディアを我が物顔で跋扈する、竜人たちに出会うまでの。 『いたか!』 『いや、見失った』 『迷い人め、ちょこまかと!』  頭に直接聞こえてくる彼らの言語を、圭は深く生い茂った草むらに身を潜めて聞きながら、跳ねる心拍を鎮めようと息を殺していた。  彼らは一見するととても体格のいい人間のように見えるが、皮膚はところどころ青や茶、あるいは緑がかった爬虫類の鱗のようなもので覆われており、手足は鉤爪のようになっている。  そればかりか背中に翼状の骨っぽい部分があったり、尾のある者もいる。  かろうじて衣服らしきものをまとってはいるが、完全にSF映画に出てくるクリーチャーそのもの。倉庫で見た連中よりもいくらか原始的で小柄に見えるものの、ほとんど変わらない。  彼らが竜と人間の血を引く竜人なのだと知らなければ、自分の正気を疑っていただろう。 (クソ、まさかこんなことになるなんて……!)  圭は元々、非科学的な事象を信じるほうではなかった。警備の仕事は単調だったが、「ここではないどこか」で別の生き方をする自分を空想してみたりするほどでもない。  ごく平凡に暮らす多くの人々と同じように、今日の次には変わらぬ明日が来るもの、少しばかり退屈だが平穏でありふれた現実が、この先も淡々と続いていくものだと、そう思って日々を生きてきたのだ。  それなのに……。 『この先は邪竜の洞窟だ。ひと雨来そうだし、ここで捕まえないと面倒なことになるぞ』 『もう上界の役人どもに任せておけばいいんじゃないか?』 『奴らに恩を売っといて損はないだろ?』 『そうだな。どっちにしろ、人間なんてこの下界じゃ長くは生きられないんだ。まだ息があるうちに捕まえて、褒美をもらおう」  彼ら――竜人たちの言葉に、不安が募る。  ユタはただ、圭に竜の卵を託し、こちらの世界にいる「マルーシャ」という竜人にそれを届けてほしいと言っただけだ。彼以外のほかの誰にも知られず、奪われることもないように、と。  この世界の説明はほとんどなかったし、人間が長くは生きられないなんて、そんな物騒な話も聞いてない。本当に無事に元の世界に帰れるのかと、焦燥感を覚える。 「おい、いたぞ!」 「……!」  翼を使って軽くジャンプした竜人にあっさり見つけられ、慌てて駆け出す。  レシディアで目覚めてから半日ばかり、圭はずっと曇天の平原を逃げ回っている。  腹にある竜の卵のおかげなのか、耳で聞くだけではまったく内容のわからない竜人の言語も、頭の中で意味のある言葉として捉えることができているが、竜人たちは誰も「マルーシャ」を知らず、問答無用で圭を捕らえてどこかの役人に引き渡そうとしているのだ。 (捕まってたまるか!)  圭は、警備員になる前は警察官だった。  自分が何かまずいものを運んでいるようだというのは薄々感づいていたし、この世界の警察機構(そもそも存在するのかどうかもわからない)がどうなっているのかまったく見当がつかない以上、下手に捕まるよりは逃げたほうがいい。  そう判断したのだった。 「くっ!」  竜人の一人がまたジャンプをし、空中から降下して背後からつかみかかってきたので、なんとかかわして振り向きざまに渾身の回し蹴りを頭に叩き込む。  人間なら膝から崩れ落ちるところだが、竜人の鱗に覆われた皮膚は硬く、わずかによろめいただけだ。  しかし幸い、彼らは翼があっても長く飛翔していることはできないらしい。  走って追いかけてくるスピードがそこまで速いわけでもないので、圭はそれ以上向き合うのをやめ、また駆け出した。 「クソ、待て!」  待てと言われて待つ気はないし、いい加減疲れてもきた。行く手に大きな崖があり、それを回り込んだ先に森が見えたので、どうにか身を隠せそうだと足を速めると――――。 「もういい、こいつで足を止めよう!」  竜人の一人が叫んだので、チラリと振り返ると、竜人の大きな鉤爪の手にはサッカーボール大の岩が握られていた。  そんなものをぶつけられたら、足どころか息の根が止まってしまう……! 「……おい、よせ。殺す気か」  不意に頭上から低く通る声が届いたので、危うく叫びそうになった。竜人たちがハッと動きを止め、頭を上げて近くの崖の上を注視する。  竜人たちから距離を取りながら、圭も視線を向けると。 「……っ?」  一見すると人間のような体躯に、皮膚の一部を覆う透けた鱗、鉤爪の手と太い尾。  どんよりと曇った空を背に、こちらを威圧するように立派な左の翼を広げてそこに立っていたのは、一人の竜人の雄だった。  圭を追いかけてきた者たちよりも、体がずっと大きい。  長めの黒髪と少し緑がかった青い瞳を持ち、鱗はつるりとしている。鱗に覆われていない部分の皮膚は褐色だ。精悍な顔つきをしていて、まっすぐにこちらを見据える瞳には知性が宿っている。  この竜人のほかに周りに誰もいないところを見ると、どうやら声をかけてきたのはこの竜人らしいのだが――――。 「ひ、ひい! 邪竜だ!」 「た、助けてくれ! 食わないでくれえ!」 「っ?」  竜人たちが後ずさりながら、慌てふためいて叫んだから、ギョッとして冷や汗が出た。  透明な鱗と褐色の皮膚とに、所々紫がかった黒い刺青のような模様があること。  そして大きな翼は、どうやら左翼しかないらしいこと。  それ以外、圭にはほかの竜人との差がよくわからなかったが、もしや「邪竜」とは竜人とは別の種族で、取って食われる危険があるのだろうか。 「そ、そいつはあんたにやる! だから、見逃してくれー!」  竜人の一人がそう言って逃げ出すと、ほかの者たちもすぐにあとに続く。  この半日、あんなにもしつこく追いかけてきていたくせに、まさかそんなに呆気なく去るなんて思わなかった。唖然としている間に「邪竜」と呼ばれた竜人と二人きりになってしまい、ひたひたと恐怖心が湧いてくる。 (どう、したらいい?)  こんなデカいのに襲われたらひとたまりもない。  とにかく逃げ出さなければと思った、そのとき。

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