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Prologue

 俺が襲いました、と東が言った。俺が全部悪いんです、と。 「佳人は嫌がって抵抗したのを、俺が無理矢理……犯したんです」 (……違う、東じゃない。東は俺を止めようとしてくれた。俺が全部悪い)  声が出ない。頭がぼーっとする。指一本動かすのさえだるい。股と首筋がじくじくと痛む。 「すみませんでした。本当に、すみませんでした」  東が頭を下げているのが見える。相手は誰だ。いや、そんなことどうでもいい。誰か分からないけど、東は悪くないんです。俺が全部悪いんです。だから俺を……俺を叱って。 「……ぁ、う、……ま」 「佳人⁉︎ 気がついたのね⁉︎」 (母さん……?) 「もう大丈夫よ! もう怖いことはないからねっ」  母さんはボロボロ涙を流しながら、子供にするみたいに俺の頭を撫でた。 (母さん、東はなにも悪くねえよ) 「なに? どうしたの?」  何か言おうとしている俺を察して、母さんが俺の口元に耳を近づける。けど、俺は相変わらず声が出せなかった。  東の誤解を解かなきゃいけないのに、急にやってきた睡魔に意識が遠のいていく。 「佳人……」  意識が途切れる直前、東の声が聞こえた。見ると、顔を上げた東と目が合った。東は傷つき切った顔に、心の底から安堵したような表情を滲ませていた。その目は、今にも泣き出しそうなほど赤く、悲しげだった。  そこで俺の意識はぷつりと途切れた。  次に目を覚ました時、俺は病室にいた。検査のため1日だけ入院して家に戻った時、すでに東は実家からも、学校からもいなくなっていた。電話をしてもメールをしても返事はないし、親も先生も東がどこに行ってしまったのか教えてくれなかった。  そして俺がΩであるということと、室井先生と東に犯されたという噂は、瞬く間に学校中に広がった。どこから漏れたかは定かではないが、俺が発情したあの日、フェロモンが学校中に漏れ出していたことと、その直後に室井が懲戒免職、東が突然転校して行ったことが結び付けられないはずがなかった。  親の図らいで俺も転校することになった時、東の家に挨拶に行った。  東のせいじゃないんです。と何度したか分からない説明をまたしたが、おじさんとおばさんも信じてくれなかった。謝ってもらうことなんて何もないのに、2人は俺の首に残った歯形を見て泣きそうな顔をしながら「ごめんなさいね」とまた謝った。  転校した後は、特に何事もなく高校と大学を卒業した。 ただ、話には聞いていた通り、Ωの俺は定職に就けなかった。今はアルバイトを転々としながら生活している。  東にはあの日以来、会えていない。

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