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第1部 6

「……じゃあ、番を……解消してくれないか」  自分の口から出た言葉に、自分の心が引き裂かれる。  振り返った東が顔を歪ませた。信じられない、と思っているのが言われなくても分かった。 「友達でも恋人でもない番って変だろ。それにお前、彼女いるんだろううが」 「だが」 「金とか何もいらない。中途半端にお前に寄生したりなんかしたくない」  そう言えば昨日、東から渡されかけたカードはどうしたっけかなんて、こんな時にどうでもいいことを思う。 「待てよ。佳人お前、自分が何言ってるのか分かってるのか。番を解消されたΩがどうなるのか、分かって言ってるのか⁉︎」 「分かってるよ。全部分かって言ってる」  今まで番関係を解消しなかったのは、東の優しさだ。  だけど今後、2人で生きていく気持ちがないなら、佳人と東の関係は歪なものでしかない。  そんなものは今のうちになくした方がいい。 「でも番が解消されたなら、その後俺がどうなろうとお前には関係ないだろ」  友達でもない。恋人でもない。愛人でも、ペットでも、家族でもない。  佳人と東を結びつける関係は、もはや番という虚しいものだけ。 「俺たちは他人同士になるんだよ。それが今の俺たちの元の……本来の形なんだ」  自分には婚約者がいて、佳人とは今後性的関係を持つつもりはない──最初にそう言ったはずの東が、なぜか悲しそうに表情を歪める。 (今俺にできることはこれしかないんだよ、東)  番を解消すること。  これが自分にできるせめてもの償いであり、自分への救済だった。 (俺ももう疲れたんだよ、東……)  絶対に手に入らないと分かっていながら、発情期のたびに東を求めてしまうのが苦しい。  自分のものじゃない番が狂おしいほど欲しくなる、あの暴力的な欲求が虚しい。 「頼むよ東。このままじゃ、俺も前に進めない……」 「佳人……」  最後はほとんど嘆願だった。  東の瞳が迷うように揺れている。どうするべきか分からなくて戸惑っている。  佳人は後押しをするべく、口を開いた。 「答えは1つしかねえよ、東」  ハッと東が佳人を見つめる。  今度は助けを求めてくるかのように、縋ってくる目。 幼い子どものような頼りなさげな東に、佳人は笑った。 「佳人、俺は……」  その続きは東の喉に飲み込まれて、佳人が聞くことはなかった。  次の瞬間、佳人の中で、何かの〝糸〟が切れた。  それが何の〝糸〟だったのかは、考えなくても分かった。 「……さんきゅ」  小さく礼を言うと、佳人はベッドから起き上がって家を出る準備をした。  ハンガーにかかっていた服に着替え、リュックの中を確認し背負う。 「じゃあな、東」 (もう、2度と会うことはないだろう)  「佳人」と呼ぶ声がした。  目の前に立つ東が手を伸ばしてくる。そのまま佳人の頬を包んだ両手を、佳人はそっと拒絶した。  東の瞳が哀しげに揺れて、どうしてと問うてくる。  そんな東に、佳人は笑って見せた。 「他人は、こんなふうに他人に触ったりしねえよ」  東の顔から表情がなくなる。  佳人はなにも言わないまま、東の家を出た。追いかけてくる気配はない。 (さよなら、東)  さよなら、ともう一度言った。 (……さよなら。俺の、〝友達〟だった人)

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