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第2部 1(3/25 加筆しました)
「いらっしゃいませ!」
「2人なんですが空いてますか?」
夜7時。会社近くの飲み屋街はだんだんと活気を帯びて来る時間帯。東は上司である大屋敷と一緒に、日本酒の種類が豊富だという居酒屋にやって来ていた。
運良く空いていたようで、2人はすぐに小さな半個室の座敷に通された。お互い何杯も飲む予定はないので、さっそくおすすめの日本酒とつまみをいくつか注文する。
「良い雰囲気の店ですね」
「でしょう。気に入ってるんだ」
今日は大屋敷の方から誘ってもらった。今日は蓮も友達とご飯に行くらしくて帰っても誰もいないんだよね、と照れ笑いをされ、自分で良ければと引き受けた。
大屋敷とは1年前、大屋敷の過去の話をしてもらってから、よくこうやって呑むようになった。大屋敷も、自分と佳人のことについて知っている。
今は過去に過ちを犯した者同士。ただの上司と部下とも、友達とも言えない不思議な関係が続いていた。
「あれからまだ、なにもない?」
「……そうですね」
大屋敷は妻帯しているし、「よく呑む」と言ってもそう頻繁なわけではない。前回呑んだのも1ヶ月半近く前だ。
(〝また〟1ヶ月半も経ってるのか)
時間が過ぎるスピードの速さに、東は溜息を吐きたくなった。
東と佳人の話をして以来、大屋敷は佳人と再会しようとする東のことを気にかけてくれている。だからこうして2人で話す機会がある度、相談にも乗ってくれていた。
自分の心に整理がついた次の日、佳人と番を解消して以来避けていた購買所に向かった。しかしそこに佳人の姿はなく、何日経っても現れることはなかった。
その時点で番を解消してから1ヶ月経っていた。あんな別れ方をしておいて、いつ相手と会うかも分からない職場にいつまでもいるわけがないと言うのは、少し考えれば分かる事だった。
それでも東には佳人が現れることを信じて、そこに通うしかなかった。
そういて通い詰めて2週間が経った頃、舞子に出会った。
舞子は佳人と再会したあの日、佳人と一緒に働いていた女性だ。この人に聞けば佳人がどこにいるのか分かるかもしれない。そんな希望に、束の間歓喜した。
しかし舞子に声をかけた東に対して返ってきたのは、壮絶な嫌悪だった。
「佳人くんがどこにいるかなんて、よく平気な顔でそんなことが聞けたものね!」
ついさっきまで他の社員に見せていた笑顔からは一変、ゴミを見るような目で見られ、心の底から軽蔑されていることが伝わって来た。
「佳人くんは君に酷いことを言われた数日後に、体調不良で辞めました! 今どこにいるかは、何をされても絶対に教えませんから!」
「体調不良」という言葉に、心臓が悪い音を立てた。番を解消したことによる心的ストレスからきたものなんじゃないか──自己嫌悪で心が真っ黒になる。
その時の感情が顔に出ていたのか、舞子は東を一瞥して言った。
「その顔だと、何か心の変化があったのかもしれないわね。少なくともあの時の最低男じゃなくなってる」
「でもね」と舞子は強い口調で続けた。
「たとえ佳人くんが君を許しても、私だけは絶対に君を許さないって決めたの。私は何があってもあの子の味方でいるって決めた。もし周りから見て佳人くんが悪かったことでも、私は佳人くんが正しいって言うって決めたから。だから君には絶対に佳人くんがどこにいるか教えない」
そう言ったっきり、舞子は東を無視して仕事を再開した。
東も、それ以上何も言えずに立ち去った。
横暴な言い分に腹は立たなかった。むしろ感謝に近い感覚があった。
そうして唯一も手がかりもなくしてから1年。
探し続けているものの、佳人の手がかりは全くないままだった。
「気持ちは分かるけど、あまり思いつめないでね」
「はい。でも実は今は、焦る気持ちはないんです」
このまま、一生佳人に会えないかもしれない。
それはもちろんとても悲しいけど、それはそれで仕方ないと思う。否、そう思うことにした。
(もしまた会えても、運命。会えなくても、運命)
佳人を探そうと決めた時、同時にそう思おうと決めた。
もう2度と、自分が無理矢理介入することで、佳人の人生を捻じ曲げることがないように。
自分がまた佳人に会ってもいい人間なのであれば、きっとまた会える。
(探すと言うよりは、待っているのかもしれない)
その時を、待っている。
お猪口を仰いだ時、ポケットの中で携帯が震えた。
「すみません」
「いいよ、どうぞ」
画面には『病院』の2文字が浮かび上がり、東の中を、嫌な予感が駆け抜けていった。
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