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第2部 3

「竜太」  代わりに出てきたの父だった。佳人は来ない。 「なんでここに……」  東は当初の目的を思い出した。 「ひ、久しぶり父さん。母さんと別れて以来だよな」 「ああ……。竜太お前、佳人くんがここにいるってどこで聞いたんだ?」  父は佳人を探して東がここへやってきたのだと思っているようだった。  違うよ、と首を振る。 「昨夜、母さんが亡くなった。それを伝えに来たんだ」 「暁子が……?」  「そうか、ついにか」と父が呟く。  母は末期で癌が発見されたため、その時から東は相応の覚悟をしていた。それは父も同じだったようで、ショックを受けつつ、少しだけ安堵していることが伝わってくる。  安堵する父の気持ちは東にも分かった。  大切な人がいなくなる時を、今日だろうか、明日だろうかと怯えながら待つしかできない日々は、生きていくには重たすぎる。 「直接じゃなくても良かったんだけど、これを逃せば、もう父さんには一生会わないだろうと思って」 「そうだったろうな。会いに来てくれてありがとう。上がっていきなさい」  東は自室となっているらしい店の2階に通された。  中へ案内された時に、つい佳人を探してしまう。しかし佳人は東に見つかりたくないのか、工房の中に姿はない。  建物自体は、格安で買った中古の物件をリフォームしたものだと教えられた。2年前に行ったばかりらしく、部屋の中はどこも新築のように綺麗だった。  リビングは広い洋室で、東はソファに通された。  再婚相手は今はいないようで、少しホッとする。顔も見たことがないが、いざ会ったらどういう顔をすればいいか分からない。  ならば帰ってくる前に退散しようと、お茶を入れようとしてくれた父を断り、通夜や葬式の話など、本題だけ話した。  一通り話終わると、父が口を開いた。 「分かった。……今まで、何もかもお前に任せて悪かったな」 「父さんはもう新しい家庭があるし、俺は母さんの息子なんだから当たり前だろ」 「……そうだな」  父を、鬱病や癌を患った母を差し置いて再婚したろくでなし、なんて思わない。  東が知る父は確かに母を愛していたし、母から離婚を申し込まれた父が、どれだけそれを拒んでいたかも知っている。  父は鬱病と闘う母を支えたいと思ってたが、母は自分の病で父を不幸にできないと思っていた。  2人は思い合っていたからこそ、離れることになってしまった。それは2人にとって必要な不幸だった。  そんな不幸を受け入れるしかなかった父が、今幸せなら、それでいいと東は思う。 「じゃあ、俺は行くから」  早々に立ち上がった東を、父は複雑そうな顔で見る。  何を言いたいのかは、なんとなく伝わってきた。 「佳人くんは、いいのか」  探してるんだろう、と父が言う。  なぜ父が、自分が佳人を探していると知っているんだろう。 (いや、そんな深く考えることでもないか。言葉の綾ってやつだろう) 「佳人は俺に会いたくないみたいだから」  父は何も言わなかった。  リビングを出て、階段を降りる。  だんだんと小麦の香ばしい香りが戻ってきて、せっかくだからパンを買って帰ろうと言う気持ちになった。  店に戻るが、佳人の姿はなく、客もいない。 (佳人はもう、出てこないだろうな)  店の中にはいるだろうが、拒否する相手を無理やり探す気持ちはない。 (これが答えだったんだ) ──もしまた会えても、運命。会えなくても、運命。  1年間、そう思いながら過ごしてきた。 (運命が、また佳人に会わせてくれた。でも、そのあとは?)  運命でも奇跡でもない、他ならぬ佳人が東を拒否している。  なら、自分がするべきことはもう決まっている。  胸の奥がギリギリと引き攣って、痛む。  それを無理矢理無視して、東は適当にパンを選んだ。レジへ行き、カウンター上に置かれた呼び鈴を押す。

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