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蒸し暑い梅雨が終わると、灼熱の夏がやってきた。コンクリートから跳ね返る熱と、うるさいセミの声、息をするだけで汗をかく高温を、アイスやクーラーで何とかやり過ごして、待ちに待った秋が訪れた。
真っ青な青空にはすじ雲が浮かび、爽やかな風が吹いている。この時期を今か今かと待っていた人たちが早足で歩いて行くのを、佳人は目で追っていた。
人の向こうには、ロマンチックなお城が聳え、その隣には大きな観覧車が見える。陽気でリズミカルな音楽が、園外まで漏れ出していた。
「まずは心を許せる友人を作る事だ。なるべく信頼できる人を紹介してもらうのがいい。そうやって、人と関わっても怖い事はない、傷つく事はない、と自分に分らせていく事が大事だ」
佳人は自分のトラウマを、本格的に治療する事を決めた。今までは時間の流れに任せていたが、自分からも何かしたいと思った。それを主治医の天草に伝え、受けたアドバイスについて東にも相談した。
「俺の上司に、番を持ってる人がいるんだ。相手の人には俺も会った事があるけど、すごく良い人だよ。その上司も信頼できる」
その上司とは、6月に佳人を居酒屋へ飛び出した大屋敷だと教えられた。
「実は大屋敷さんには佳人の事を相談してて……俺たちの事情を知ってるから、そういう意味でも適任だと思うよ」
(やっぱり)
あの時、大屋敷は自分たちの事を知ってるんじゃないかと、勘付いた自分は間違いではなかったようだ。
佳人自身、しばらく人付き合いを避けていた事があり、初対面の人と関わる事に抵抗があった。しかしこれくらい刺激がある方がいいかもしれないと、勇気を出して、その2人にお願いをする事にした。
2人は快く了承してくれ、大屋敷の番・蓮太郎の進言で、4人で遊園地に行く事になった。
その日が今日。昨日は不安と緊張でなかなか寝付けなかったのに、朝はいつもより早く起きた。
「佳人!」
呼び声に顔を上げると、駐車場の方から東が歩いて来ていた。男性2人がそれに続き、目の合った背の小さい方が軽く頭を下げた。
いつもと違う顔ぶれに、自然と背筋が伸びる。
「お待たせ。こちらが大屋敷さんと、その奥さんの蓮太郎さん」
「初めまして、大屋敷蓮太郎です」
「僕は初めましてじゃないですよね、改めまして、大屋敷巡です」
「は、初めまして、赤松佳人です」
挨拶をしながら、なんだか合コンみたいだなと思う。
「なんか合コンみたいだね」
(やば、声に出てたか?)
慌てて口を押さえるが、そう言ったのは蓮太郎だった。「そうだね」と大屋敷が朗らかに笑っている。
(なにげに自分以外のΩの人には初めて会ったな……。いや店長がいたけど)
ついまじまじと蓮太郎の事を観察してしまう。華奢な佳人よりも、蓮太郎は更に細く、身長は160センチくらいしかない。まん丸い黒い頭に、溢れそうなほど大きな瞳は焦げカラメル色で、日光に当てられてキラキラ光った。白いパーカーにジーンズにスニーカーという出立は、少年というよりは少女のようだ。
大きな目と、視線が合う。見すぎて気分を害していたらどうしようと、不安になったが、蓮太郎はにこりと柔らかく笑った。
「今日は俺のわがままに付き合ってくれてありがとうね。俺、どうしても期間限定のドリンクが飲みたくって」
「い、いえ。むしろ俺が付き合わせている方なんで。これ、うちの店の食パンです。気持ち程度ですが」
今朝焼いたばかりなんで、と付け足すと、蓮太郎はぱっと頬を赤く染めた。
「えー! いいのっ? 俺焼きたての食パン大好き! もちもちふわふわで美味しいよねーっ。ありがとう!」
パンの入った紙袋を受け取る蓮太郎は、今にも踊り出しそうだ。まさかこんなに喜んでもらえると思っていなかったので、つられて佳人まで嬉しくなる。
「じゃあそろそろ行こう! 時間なくなっちゃう」
「あ、2人は先行ってて。車に忘れ物した。パンちょうだい。ついでに置いてくる」
「分かった! 入ってすぐのお土産屋さん見てるね」
「蓮ったら、もうお土産?」
この短時間で、大屋敷と蓮太郎の仲の良さは分かった。
(なんだろう……見えない絆的な、そんな感じ)
お互いに相手を心から信頼しているし、愛しているのが、言葉や表情、行動の節々から分かる。佳人と東には、番の頃でさえなかった物を見つけて、佳人は胸が切なくなった。
大屋敷と東は車に戻り、佳人は蓮と先に入園する事になった。ゲートを通ると、中央には大きな噴水があり、子供たちが興奮して騒いでいる。噴水の真ん中には、ラッパを吹くウサギの像がいて、女の子たちはそれに夢中のようだ。
その噴水を通り抜けると、すぐにお土産屋が立ち並んでいる。2人は一番手前の店に入った。
中には可愛らしいお菓子の缶や雑貨、文具までカラフルなグッズが所狭しと並べられていた。
「佳人くん佳人くん、こっち。これ見て」
そう言って蓮太郎が指差したのは、遊園地のイメージキャクターであるウサギの耳カチューシャだった。パステルピンクとブルーの2色があり、耳元には水玉のリボンがついている。
「これあの2人に買って付けてもらおうよ」
「ぶっ」
180センチ超の男2人がこれを付けてる姿を想像して、そのシュールさに思わず吹き出した。
「いいよね? 見たくない? これ付けたときの2人の顔! 俺たちからのプレゼントって事にしてさー」
「いいですね、乗りました。蓮太郎さんは…」
「敬語とかやめてよ。俺たち友達になるんだからさ。名前も蓮太郎でいいよ」
「じゃあ……、蓮太郎は付けないの? 似合いそうなのに」
(つけたら大屋敷さんがすっげぇ喜びそう)
それは言わないで、心の内に秘めておく。
ただ純粋に似合いそうと思ったのでそう言うと、蓮太郎はケラケラと笑った。
「三十路過ぎてこれはさすがにきついかなあ」
「え、蓮太郎、30過ぎてんの?」
「うん、俺今年で31歳」
「まじか、見えねぇ……」
「童顔だからねー」
もはや童顔だから、で済む領域を超えている気はするが……Ωだからあり得る話なんだろうか。自分もΩだが、よく分からない。
「お待たせ」
ちょうど会計を終えた頃、大屋敷と東が戻って来る。何買ったの?と笑顔で訊く大屋敷に、蓮太郎は満面の笑みで袋を差し出した。
「え、僕に? なんだろう」
袋を開く大屋敷を、佳人と蓮太郎はわくわくしながら見守った。最初こそ笑いを堪えていたが、袋を開けて石になった大屋敷を見て、我慢できずに吹き出す。なんだなんだと袋を覗き込んだ東も、一緒に吹き出した。
「大屋敷さん、付けてくださいよ」
「付けてくださいよって、東くん君まで敵なの?」
「東にも、はい」
余裕綽綽でいる東に、佳人が同じ袋を差し出す。
「え」
「東くん。付けてみなよ、ほら。ほらほら」
いつの間にかうさ耳を付けた大屋敷が東も促す。渋っていた東も、大屋敷の笑顔の圧力に負けて、最後は渋々付けていた。
「かわいい! 巡、似合ってるよ」
「ありがとう……」
「東……お前引くほど似合わないな」
「佳人が買ったくせに…」
蓮太郎が携帯で写真を撮りまくると、「よし!」と声を張った。
「じゃあ準備も出来たし行こうか!」
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