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「佳人くん、これ! これ食べよう!」 「佳人くん、写真一緒に撮ろうよ!」 「佳人くん、次はあれ乗ろう!」  佳人くん。佳人くん。佳人くん──  蓮太郎はとにかく元気だった。そこら辺の少年少女にも劣らない体力に引きずられるようにして、佳人たちは園内を駆け回った。蓮太郎は「ご飯の時間は並ぶ時間!」というタイプで休む暇もない。  目まぐるしく、疲れるが楽しい。  正直最初は、良い年の大人の男4人で、遊園地を楽しめるのか疑問だった。なによりも、東の知り合いとは言え初対面の人と遊園地なんて、と躊躇った。ただでさえ佳人は人付き合いを無意識に避けてしまう。リハビリのためと自分に言い聞かせても、間がもたないんじゃないか、やっぱり他人と関わりたくない、そんな気持ちが強くて昨日はあまり眠れなかった。  けれど実際蓮太郎に会ってみれば、強引とも取れる奔放さで連れ回され、そんなこと考えている暇もなかった。気が付けば、10代に逆戻りしたような感覚で楽しんでいた。 「佳人くん絶叫系乗れる? 乗れるならあれ乗ろう」  そう言って蓮太郎が指さしたのは、園内一の高さを誇るジェットコースターだった。落ちるタイプのコースターだ。佳人も東も絶叫系は平気な質なので、全員で乗る事にした。  2人席が3つある6人乗りで、蓮太郎は佳人の隣に乗る気満々だったが、席の関係で佳人は東と、蓮太郎は大屋敷と隣になった。 「蓮太郎くんの隣がよかったー!」  動き出した後も、前の席からそんな蓮太郎の声が聞こえる。 「まだ言ってる」と東がくすくす笑った。佳人もつられて笑うと、体が揺れて東と肩が軽くぶつかる。 「わり」 「平気」  そこで佳人は今までで一番、東が至近距離にいる事に気がついた。それに気づいた瞬間、心臓がバクバクし出す。 (やべぇ、完全に油断してた……)  4月の花見の事が思い出される。大丈夫、もう吐いたりなんてすることはない、大丈夫、大丈夫、と強く自分に言い聞かせる。  しかしそんな余裕があったのはそこまでだった。数秒後、ジェットコースターにもの凄い勢いで揺さぶられて、佳人はなにも考えられずに叫んでいた。振り落とされないようにバーをがっちりと握り込む。  上げて落とされ、右に左に揺られて、また落とされて。それを何回繰り返したか分からない、気が付けば「おかえりなさーい」と笑顔のスタッフにお出迎えされていた。 「佳人、終わったよ」  東に声をかけられて、やっと我に返った。「ああ……」と曖昧な返事をする。 (俺って絶叫系苦手だったっけ……?)  そう言えば最後に乗ったのは何年前だったか、なんて考えていたら「佳人」とまた声をかけられる。 「腕、離してくれないと降りれないよ」 「えっ」  そう言われて初めて、佳人は自分が東の腕をがっちりしがみついている事に気がついた。乗車中、佳人がバーだと思って握りしめていたのは東の腕だったのだ。 「わっ悪い!」  慌てて手を離し、2人してトロッコを降りる。出口の所で、すでに蓮太郎と大屋敷が待っていた。 「お、お待たせ」 「佳人くん、絶叫系が苦手なら言ってくれてよかったのに」 「いや、俺も初めて知った。俺、絶叫系苦手なんだ……」 「なにそれ、面白いね! 次は佳人くんの休憩も兼ねて座って休もうか」  すぐ目の前のベンチが並んでいたので、4人でそこまで移動する。その最中、蓮太郎が耳打ちして来た。 「人に触られるの苦手って聞いてたけど、東くんには触れるんだね」  確かにあの時は自分から触っていたし、嫌悪感もなかった。 「でも、あれはたまたま……」 「そうかもしれないけど、俺はあんまり関係ないと思うけど。佳人くんのそれって生理的なものだから、いくら切羽詰まったって、心が嫌って言ったらしないと思うよ」 (そうなのかな)  今でも、他人に触られたくないと思う気持ちは変わらない。物理的にも、心理的にも。あまり自分の深い所まで入ってきて欲しくない。蓮太郎とこうしているのは楽しいけど、落ち着いて考えるとやっぱりまだどこかで怯えている。このまま蓮太郎を「大切な人」にして、蓮太郎にいらないと言われてしまったら? 目の前からいなくなってしまったら? その時、傷つくのは自分だ。まだ自分の中に、蓮太郎の〝居場所〟を作りたくない。  じゃあ東は? 今は、東にだったら良いって思っているんだろうか。 (……分からない。前は良いと思って、実際は駄目だった。慎重にならないと、また東を苦しめることになる) 「ごめん、そんな顔させたかったわけじゃないんだ。ごめんね。今は楽しいことだけしよう」  蓮太郎はそう言って、佳人を落ち着かせるように微笑んだ。  時間はあっという間に過ぎ、日が沈み始めた。佳人は明日仕事なので、閉園まではいられない。そろそろ帰らないといけない。  最後のアトラクションとしては、蓮太郎が乗りたいと言った「観覧車」が選ばれた。今はその前に、とトイレに行った大屋敷と、ペットボトルを捨てに行った東を待っている。 「今日はどうだった?」 「楽しかった。大人でも遊園地って楽しめるんだな」 「俺も楽しかった。よかったらまた4人で遊ぼうよ。東くん通して連絡くれたら、いつでも駆けつけるよ。佳人くんと友達になりたいし」  そう言って、蓮太郎はにしし、と歯を見せて笑った。蓮太郎なりに気を遣ってくれたのが分かって、胸がいっぱいになる。  その直後、終始子供っぽい表情をしていた蓮太郎が、ふと表情を変えた。なんだろうと、その視線の先を追ってみると、そこには手を繋ぐ父親と母親、女の子がいた。女の子は両親に挟まれて幸せそうに笑っている。 「可愛いね……」  ぽつりと、小さな声で蓮太郎が言った。なんだかその表情は羨ましそうで、また切なく見えて、佳人は言葉に詰まった。  そう言えば、大屋敷と蓮太郎は子供を持たないんだろうか、と思う。歩き回っている最中に、一緒になってもう10年近いと聞いた。2人は番なのだから、子供は授かり易いはずだ。それにいくら若く見えても蓮太郎は31歳。男のΩが子供を産めるギリギリの年齢だ。これ以上になると出産は厳しくなる。  でもなぜだか佳人は「子供は持たないんですか」と聞く気になれなかった。気が付くと蓮太郎はいつも通りの顔で笑っていた。  間も無く2人が帰って来て、観覧車に並んだ。 「佳人くんごめん、蓮と乗らせてもらってもいいかな?」  乗る直前、大屋敷がそう言い出した。 「えっ? なんで? 俺は佳人と乗りたい!」 「蓮お願い。僕は蓮と乗りたいな」 「いいですよ」 「えー⁉︎ 佳人なんでっ?」  ごねる蓮太郎を、大屋敷がゴンドラの中に押し込む。途中、ちらりとこちらを見て「ありがとう」と口パクで言った。 「よかったのか?」 「ああ」  大屋敷は蓮太郎の様子の変化に気づいているんだろうと分かった。佳人には何もできることはないが、大屋敷ならあるだろう。  東と2人でゴンドラに乗り込むと、ドアが閉められて、ガタンと動き出す。  いざ2人になると話すことがないことに気づいた。先に声をかけて来たのは、向かい側に座る東だった。 「今日は楽しかったな」 「ああ。来て良かった。蓮太郎も大屋敷さんも良い人だし」 「言ったろ」  また会話が途切れる。ゴンドラの中は狭いが、距離は開いているため緊張もしない。 「……正直」  ゴンドラの外を眺めながら、東が小さな声で言った。 「正直……なんていうか、妬けた」 「え……」 「俺はお前の幼馴染なのに、今日会ったばっかりの蓮太郎さんの方が、仲良さそうに喋ってるし。距離近いし」  「……楽しそうだし」と東が続ける。  気恥ずかしいのか外を眺めたままの東を、佳人はぽかんとしながら見た。 (なに、それ)  心臓がバクバクと音を立て始めて、体温がぐっと上がるのが分かった。握った手がじんわりと汗ばむ。 (なんだそれ、なんだそれ、なんだそれ、なんだそれ)  違う、心臓がバクバク言ってるんじゃない。これは、ドキドキしてる。心臓が締め付けられて、切ない気持ちになる。感情が溢れて、あっという間に受け皿がいっぱいになる感覚。  佳人は立ち上がった。勢い良く立ったせいで、ゴンドラが揺れる。転ばないように気をつけながら移動して、東の隣に座る。 「佳人⁉︎」  驚いた顔は少し面白いが、それを笑う余裕は今の佳人にはない。  東が仰反ると、その分距離を詰めた。また東が身を引くと、また詰め寄る。それを繰り返しているうちに、東に最初に限界が来る。 「け、佳人、なんのつもり──」 「俺、やっぱり東に触れるようになりたい」  真っ直ぐに東を見つめると、グラグラと東の瞳が揺れる。大きな戸惑いと、怖さが瞳孔の奥に見える。 「触りたい。けど、もう失敗して、東を傷つけたくない。だからこの間東が言ってくれたみたいに、ゆっくりしたい。俺に付き合ってくれるか? まだ、俺を待ってくれる?」  東は何度か口を開いては閉じ、開いては閉じた。何か言いたげだったが、結局なにも言わずに、見つめ返してくる。  佳人はシートの上に置かれた手に、そろそろと自分の手を寄せた。  緊張で、手が震える。東の手が近づくにつれて、不安が大きくなる。ゴンドラの中の空気は固まったように張り詰めていて、それでいて熱かった。  人差し指が、東の中指の第二関節に触れる。そのまま手の平を甲に落とした。 (熱い)  そのまま手を握る。東の手は少しだけ乾燥してカサついていた。  動悸がする。心臓の音が東に聞こえそうなほど激しく脈を撃つ。でもこれは嫌悪感ではない。  佳人はそろそろと指を絡ませ、そのまま握ると、手の平が触れ合った。お互いに汗ばんで、じっとりと濡れている。 「……握って」  そう言うと、東も佳人の手を握る。反対の手も同じようにした。 「……拷問みたい」  東は誤魔化すみたいに笑う。しかしその顔は赤く上気して、顔の横で吐かれる吐息は火傷しそうなほど熱く、目はその奥の情欲を隠しきれない。  その目の色に、ぞくりとする。これは興奮ではないものだ。 「俺に触って、東」  また急いでしまっただろうか、と一瞬不安になった。しかし腰を抱いて来た手が思った以上に優しくて、それでいてあまりに恐る恐るで、また胸が締め付けられる。  腰に置かれた手が、優しい手つきで胸まですり上がってくる。くすぐったいけど、気持いい。  佳人は東の唇を見た。湿った唇の感覚を思い出して、佳人の背筋に寒気が走る。  ──誰も俺の〝中〟にいて欲しくない。入って来て欲しくない。  誰かが心の奥で叫んでいる。あれは自分だ。東と番を解消したばかりで、傷ついていた自分。睡眠薬がないと一睡もできなかったあの頃、精神科のベッドの上で人形のように横になりながら、いつもそう思っていた。  ──もう2度と味わいたくない、あの喪失感。奈落の底に落ちていくような、心にぽっかりと風穴が空いたような空虚感。  ひゅっ、と喉の奥が音を立てる。 「佳人」  その声に呼ばれて、佳人は東を見た。東の黒い瞳。何度も傷ついて、強く優しい色になった瞳が「愛してる」と言っている。  また胸がいっぱいになって、それが溢れて、佳人はキスをした。たった数秒の短いキスだった。  ずっと空っぽだったところが、満たされていく。確かめるように、もう一度キスした。今度は1回目より長い。東の手が髪の毛を混ぜる。その心地よさに眠ってしまいそうになる。  唇を離して、東を見ると、東はぷっと笑った。 「全然ゆっくりじゃないよ」  今度は2人で笑った。  ゴンドラから降りると、なぜか蓮太郎が泣いていた。 「ごめんね、びっくりさせちゃって」  何があったのかは分からなかったが、少なくとも悲しいことがあったのではなさそうなので、そこまで心配もしなかった。  大屋敷は蓮太郎が落ち着くまで待つというので、明日仕事のある佳人は先に帰らせてもらうことになった。 「佳人くん、ごめんね」  しゃくり上げながら謝る蓮太郎に佳人は「いや」と首を振る。 「今日は楽しかった。また一緒に遊ぼうな」  そう約束をして、2人と別れた。  帰りは東が車で送ってくれた。車までも、車に乗ってからも必要以上のことは話さなかった。  ただ、歩いている間、ずっと手を繋いだままだった。

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