6 / 11

第6話

 唇だけを歪めて国峰が笑い、その表情にぞわりと肌が泡立つ。  蔑ろにされたい。いい加減に扱われたい。優しくされたくない。  男相手は最初から、抱かれる側しか経験がない。痛いのが良かった。苦しいのが良かった。苦しい方が悦かった。この関係が、甘やかなものであってはならない。甘やかなものであっていいはずがない。  これ、すごいなぁ。小学5年の冬、学校帰り、干上がった畑の側溝で見つけた成人向けの雑誌を3人で覗き込み、一人がそう言った。胸の大きな女性がベッドの上に四つん這いになり、水着姿でこちらを見つめていた。桃色に艶めく唇と、ふっくらと柔らかそうな肩のラインが強烈な印象を放って艶めいていた。すごいなぁ、ともう一人の友達が応じ、すごいのかと大園は思った。  中学2年の夏、クラスメイトの間で、無料のエロ動画を見るのが流行っていた。開いても危なくないサイトと、真偽のほどは分からないURLが出回り、友達と話を合わせるためだけに見た動画で、ちらちらと写り込む男の姿に欲情した。あの動画は外れだったと友人が言った。男があんまり映ってると萎えるよな。そういうものかと頷いて、自分はどこかが普通ではないと、そう思った。  大学1年の秋、そのころ一番仲の良かった男友達と二人、宿も取らないドライブ旅行を強行し、どうしても泊まる先が見つからなかった夜を車内で明かした。片田舎のだだっ広い駐車場に車を停めて、彼は運転席で目を閉じており、大園は眠れずに、フロントガラス越しに澄み渡った夜空に煌めく星を数えていた。街灯は遠く、月明かりがいやに眩しかった。肌寒くて付けっぱなしの暖房が立てる微かな風音が、聞こえる音の全てだった。ふと隣を振り向くと、運転席で寝息を立てる男の、月光に白く照らされた表情があまりにも穏やかで神々しく、大園は息を呑んだ。彼の胸はゆっくりと上下しており、唇は薄く開いて艶めかしく潤んでいた。キスしたいと、唐突に思った。思った、瞬間。胸の内で心臓が狂ったように暴れ出し、何事か叫び出しそうになった口元を両手で抑えて背中を丸めた。ぼたりと、瞳から滴が零れた。これは罪だと、そう思った。  俺は、罰せられるべきだ。  「……ちょっと後ろ向いて」  口元だけで笑う国峰が冷ややかに言う。そろりと身体を返すと、繋いでいた手が外れ、ごそごそと背後で物音がして程なく、再び手を掴まれた。  「……これならいけると思うんだけど……」  言いながら、国峰は大園の両腕を一纏めにして掴み、手首の辺りを、やや厚手のタオルのようなものでぎゅっと括った。身体の後ろで手首の内側をピタリと合わせる格好になり、反動でぐっと肩が反り、胸を張るような姿勢になる。猫背気味だった背中がきゅっと伸ばされて、微かな痛みが走る。解けないようにと呟きながら、国峰は結び目を堅結びにしたようだった。  「……うん……こっち向いて」  肩甲骨の辺りが詰まる感じを覚えながら、もう一度身体を反転させて向き直ると、ぐっと張った胸の先端で、むき出しの肌に当たるエアコンの風の冷たさと興奮で尖り出した乳首を見た国峰はくつりと笑い、いい眺めと呟いた。舐めるような視線が胸元から腹をなぶり、大園は小さく喉を鳴らした。  「……期待してるとこ申し訳ないんですけど、とりあえず勃てないと出来ないので」  口でやってもらえます?と国峰が言う。言葉につられて視線を落とし、そういえば、仕事着ではない国峰は始めてだとふと気づく。ゆるりとしたシルエットの上下揃いのスウェットは、紺を基調に袖口と腰回りにはグレーの切り返しがあり、シンプルだけれどやぼったくないデザインは国峰のスーツやシャツにも共通する要素で、服にはこだわるタイプかもしれないと、ちょっと場違いにそんなことを思う。この布の下の身体が、意外と筋肉質なのを知っている。着やせするタイプ。白くて滑らかな隆起する身体。視線の先で国峰が身じろぎ、ベッドのスプリングがぎいと鳴った。  「……優一さん」  ひやりと冷たい、声。冷たく、誘いかける声。真顔の国峰の睨むような目に、囚われる。飾らない視線が大園を向いていた。むき出しの視線。ごくりともう一度喉を鳴らし、大園はゆっくりと膝を折った。国峰の足の間に跪き、そこからはもう、迷いなく動く。たゆんだスウェットの股間の布を唇で食み、上目に男を見上げる。  「……脱いで」  布を引き上げて要求すると、国峰の瞼がぴくりと動いた。  「……服の上からでも出来るでしょ」  協力するつもりのない男は連れなく言い、連れない言葉とは裏腹に、視線はひとときも離れることなく大園を射続け、触られもしない中心がずくりと疼いた。劣情の滲む視線。ぞくりと身体が反応する。その目を見返しながら、柔らかな生地に鼻先を押しつけ国峰の身体を探る。うっすらと柔軟剤が香る布地は伸縮性も充分で、押し込めば押し込んだだけ緩やかに伸びて形を変え、大園の動きを邪魔する事はなかった。心地いい布の感触を感じながら内腿に頬をすり寄せて奥に進むとすぐに、ぽってりと重量感のある柔らかな熱に行き当たり、大園はその形を確かめるようにやわく唇を押し当てた。布越しの熱がぴくりと跳ねる。国峰が目を眇めた。やわやわと唇で刺激を続けると、国峰のそこは少しずつ芯をもって温度を上げる。動きに呼応して膨らむ興奮が見えるのがいいと、そう思う。刻々と形を変える欲望に夢中になって、手のようには動かせない唇で懸命に竿を扱く。根元から徐々に先端に向かい、腫れたカリ首の辺りを少し強めに挟んでやると、国峰は小さな吐息を漏らした。その反応が快くて息を吐くと、布の内の国峰の熱、吐いた息に乗った自身の熱が粘度を持って口許を覆った。息苦しくなって身体を引くとすぐに、国峰の指に顎を捉えられて上向かされる。  「……咥えてて気持ちよくなっちゃった?」  「っ、」  囁きと同時に走った刺激に、大きく体が跳ねた。熱く硬くなった自身を下着の上から踏みつけにした国峰の足指が器用に動き、微かな痛みを伴った快楽が脳を犯す。  「こんながちがちにしちゃって」  「……ん、ふ」  ぐにぐにと踏みつけにされた自身が、益々熱をもって疼く。腰が蕩けて膝立ちが保てず、へたりと床にへたり込むと、それを見た国峰が歪に笑った。ああ、と思う。これは裏だ。表に属せない自分を苛む、誅罰の儀式。踏み躙られるほど赦される。この男が、赦しを与えてくれる。ぐりとひと際強く踏み込まれ、痛みにひっと声が漏れた。その瞬間、ISOを上げすぎた写真のように目の前が白く弾けて大園は背を震わせて達し、直後全身を襲う脱力感に耐えきれず、国峰の腿に頭をもたせかけて弛緩し、震える息を零して目を閉じた。暗闇の底から、嘲るような笑いが響く。悲しくもないのに、目頭が熱くなる。  「……踏まれてイったんですか?」  本当にそうなっちゃう人って初めて見ました。  そう言って、つい今しがた大園を痛めつけた国峰の足が、今度は宥めるように優しく動き、満ちた欲を放って縮こまった国峰自身を撫でた。達したばかりの性器にその刺激は強すぎて、嫌だと首を振って見せても国峰は止まらず、下着の中で吐き出した精液がかき混ぜられて、ぐじゅりぐじゅりと音を立てる。  「っ、ちょっ、と……待って、」  「待たない」  脚を閉じて国峰を締め出そうとするが、力の入らない身体ではそれも叶わず、大園は国峰の腿に頬を押し付け待って待ってと繰り返した。濡れた下着は気持ちが悪いのに、ぬちぬちとした感触は短絡的に性的な快楽と結びつき、“嫌”なのか“もっと”なのかは自分でも分からないまま、国峰の足の動きに翻弄される。  「ん、ぁ、」  「はは……すごい。ぐちゃぐちゃいってますね」  直接的な感触だけではない。耳から入る音も、快楽を煽るスパイスになる。気持ちいいも苦しいも恥ずかしいも痛いも、嫌だももっとも全部、ここでは同義だった。与えられる快に漏れ出す声が止まらず、瞳から零れた涙が頬を濡らす。  「ん、ふ、」  「……ねぇ、」  呼び掛けられて目を開け、薄っすらと水の膜のかかった瞳で見上げると、凍てつく冷酷の上から怒りの朱を刷いた加虐者の目がこちらを向いており、それでいいと大園は思う。それでいい。それが、いい。そうして、俺を罰してくれ。じんわりと滲んだ視界の中では男の輪郭は曖昧で、色白のカンバスには誰の顔も描けた。俺を虐げているのは誰だろうかと、大園は思う。柔らかな女性の身体に性を目覚めさせた幼い彼らか、男性の身体を嫌悪した彼か、月光の下で神々しい輝きを放った彼か、それとも、他の誰かなのか。ここで今、俺を罰するのは誰なんだろう。俺は今、誰に赦されているんだろう。  「……汚れたんで綺麗にして下さいよ」  足、と顔のない男が平板に命じる。内と外。裏と表。淫乱と純潔。罪と、罰。緩慢に身体を起こして背を丸め、床に張り付いた白い足に舌を伸ばす。きちんと切りそろえられた形の綺麗な爪に舌を這わせて口に含むと、その足先は氷のように冷たく、口の中で溶けて消えてしまいそうだと、そう思った。

ともだちにシェアしよう!