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第60 丸薬の一夜 10
(…独りは…怖い……)
でもそんな事を言える訳がない。気を抜けば震えそうな身体をどうにか抑えつける。
この行為はあくまでも、レフラの務めの為の事だ。辛くたって成さなければいけない役目なのだ。こんな邪魔な感情にギガイを巻き込むべきではないのだ。
喜びも不安も独りが当たり前だと、幼い頃から分かっているから。レフラは何気ない風を装って。
「お待ちしています」
半分本当で、半分嘘のそんな言葉をギガイへ告げた。次にギガイが来た時に、どれだけの苦痛を受けるのだろう。本当はそんな嬲られる時間なんて怖くてイヤで仕方がない。でもたった独りの空間で不安に耐えている自分の傍に、ギガイが居てくれたらと願ってしまう。
レフラはそのまま目を伏せながら、軽く頭を下げて礼をした。
表情に不安が滲み出ていないか心配だった。今はただ顔を隠してしまいたかった。だがその動きを妨げるように、ギガイの指がレフラの顎先を固定して、視線をしっかりと絡めてきた。
「待っている間はお前の好きに過ごすが良い。だが」
そこで不自然に切られた言葉に、レフラがコクッと唾を飲んだ。その頬をギガイの指がするりと撫でる。
「薬を取り出したり、許しなく身体は触るな。分かっているな」
確認するように告げられた声音や眼差しが威圧感を伴っていて。堪えていた不安に恐怖が上乗せされる。触れる指の温度や優しさも、直前まで癒してくれた物と何一つ変わらないのに。今はこの指が怖かった。
あぁ、やっぱり嬲るも癒すも主の心一つなのだ。
「…はい……」
レフラはコクッと首を振った。
もし守らなければ、そうなれば。あの時のような苦痛がもう一度与えられて、さんざん泣くような目に遭うのだろう。その時に、きっとこの主は容赦などしてくれない。
心も身体も追い詰められた、あの時の記憶がレフラの恐怖をさらに煽る。傷が癒えたはずの内壁さえも、忘れるな、とでも言うかのようにズキッと痛みを訴えた。
怯えにレフラの感情が、完全にあの日へ引き戻されそうに成った時、フッと部屋を満たしていたギガイの重圧が弱まった。
そんなに怖がるな、ともう一度口づけられて身体をそっと撫でられる。
「言っているだろ。素直で良い御饌でいれば問題ない」
そう言って撫でてくる手は、冷えた身体に温かくて優しかった。レフラがその温もりと「良い御饌」という言葉に反応する。
分からずにずっと悩んでいたけれども。もしかしたら事は単純なのかもしれない。もしこれで間違いがないならば、こんな自分でも出来そうだ。そう思えばレフラの心が浮上した。
だって今、言われたことは。
ちゃんと言いつけを守ること。勝手に身体を触らないこと。たったこれだけの事なのだ。
(これが良い御饌って事ですか。大丈夫。もとより捧げられる身として教え込まれていますから)
抱き寄せられた胸元で、レフラははっきりと頷いた。少しだけ展望が開けたようだった。そしてたまたま重なったギガイの撫でてくる掌が、それで良いと肯定しているような気がしてくる。
素直で良い御饌であればこそだが。御饌でいる間はレフラだって優しくされる。
使命を負う覚悟だけで矜持を守り、自分の境遇を不幸ではないと言い聞かせていたレフラにとって。日常の中で誰かが優しさをくれる事は、すごく恵まれた事だった。張り詰めていた物が緩んだような気がして、心の中が軽くなる。そんな毎日ならばもう不幸な境遇ではないはずだ。
頑張れば優しくして貰える。御饌でいる間は愛して貰える。そしてこうして抱きしめてくれる。
それは輪の外から見るだけしか許されず、人の温もりに飢えたレフラには十分価値がある事だった。幾重に降り積もった恐怖を堪えて、レフラはギガイの体温をもう一度感じた。
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