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第61 丸薬の一夜 11

中の間へ向かうギガイが、大股で通路を抜けていた。主の姿を遠くから見掛けた者達が、行く手を塞ぐ事がないよう壁際に寄って頭を下げる。それは黒族の中で、見慣れた日常の光景だった。そんな中でもし顔を上げる事が出来る者がいたなら、目にしたものにきっと動揺しただろう。だがそんな無謀な事をする者がいない執務室までの道のりは、いたっていつも通りの光景だった。 違ったのはいつものギガイの執務室。リュクトワスと首席庶務官アドフィルの二人の臣下の前だった。 「…いつに無く、機嫌がよろしいようですね」 少し驚いた様子のリュクトワスが手にした書類を差し出してくる。その横でアドフィルが伺うようにギガイを見ていた。 「あぁ、そうだな」 つい今し方のやり取りの中で、レフラから反抗的に向けられた目を思い出す。侮られる事は我慢できないと告げているような青い目だった。 「壊したと思っていたモノが、案外無事だったからな」 威圧する時の笑み以外、まともに笑った所を見た事がない臣下はとても多いせいか。ククッと小さな笑い声を立てたギガイの方を今度こそ信じられないといった顔でアドフィルが見つめていた。 歴代の黒族長が持つ御饌への執着染みた溺愛を知り、ギガイの考えを最も上手く汲み取るはずのリュクトワスでさえ、戸惑いを感じているようだ。 「壊れてようと貴いモノには変わりなかったが、損なっていないならば、それに越した事はないからな」 伸ばした手でアドフィルが抱えた書類も受け取り捲っていく。収支報告にあたるその書類の数字を追いながらも、脳裏に浮かぶのは生涯唯一の愛しい御饌。 自分が招いた事だ、と受け入れざる得ない状況へ追い込んで、快感や痛みでギガイが手ずから心を砕いたレフラの姿だった。 孕み族としての性を利用してギガイの元に縛り付ける躾の日々は、レフラの心をずっと脆いままにしていくのだと信じていて。医癒棟の地下で垣間見た、誇り高くあろうとするレフラ自身の本質は、失ってしまったのだと思っていた。 (だが。違っていた、という事か) 腕の内に囲い込んで、怯えて従順になる姿に支配欲が満たされるのも正直な所だったが、ありのままを愛しみたかったギガイにとっては、レフラの本質が失われていなかった事に、ふつふつと喜びが湧いてくる。 「どうした、何か言いたそうだな」 何を指しているのか分からないアドフィルと違い、側近として最もギガイの側に居るリュクトワスは事情を何となく察したのだろう。 表情はどこか浮かないモノだった。 「ギガイ様に意見など、とんでもございません」 「良いから言ってみろ」 決して浅慮な男ではない。立場も役目も弁えた男だ。そんな男があえて何を語るのか興味が湧いて、ギガイがリュクトワスへ発言を許した。

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