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第62 丸薬の一夜 12

「…私が思うのはギガイ様の心の安寧でございます。それが在るのであれば、特に申し上げる事はございません」 その言葉に嘘はないのだろう。測るギガイの視線の圧からも逸らされる様子のないリュクトワスの目には、後ろ暗さに陰りを含む様子もない。 そんなリュクトワスにギガイが悠揚に構えてみせた。 「お前の心配など杞憂に過ぎん」 黒族長であるギガイの日々は、止まる事も後悔さえもできない選択の連続なのだ。その中で常に最善となるモノを選んでいく。選択したモノを憂えた事など一度もない。そんな事はこの側近が分からないはずがないのに、何を案じているのかギガイには全く分からなかった。 逸らされる事がなかったリュクトワスの目が、ゆっくりと瞬きを行った。主がそう言うならばそうなのだろう、とギガイの言葉を飲み込むような動きのようだ。実際にその後には。 「私の思い過ごしでした。出過ぎた真似をし申し訳ございません」 ギガイの意を汲み上手く立ち回る、有能な側近のいつも通りの姿だった。もうよい、とギガイは大きく頷いて書類に署名を走らせた。 「近々の祭りの為に碧族(へきぞく)から関税に関して話しがあったはずだ。市場の価格を調査して、値崩れが起きないように調整した書類を出しておけ」 手元の書類をアドフィルへ返しながら、指示を飛ばせば一礼をして去っていく。 同様にきな臭く成ってきている、紫族(しぞく)緋族(ひぞく)の情勢の調査をリュクトワスへ指示を出せば、執務室に束の間の静けさが訪れた。 卓上に積まれたその他の書類に目を通しながら、ギガイは残りの仕事を片付けていく。今頃レフラは効き始めた薬に寝台の上で身悶えているのだろう。二時間と言ったが、書類の束はそれよりも少しかかりそうだった。 (憂える必要などどこにある。全てが順調だというのに) 次々と書類を捲る間に、怯えと気高さが混在していたレフラの目を思い出す。飴と鞭を意識して始めた躾は、思った以上にレフラへは有効だったようだ。 「これなら大丈夫そうだな」 躾が本格化するのはこれからだ。壊れてしまいそうだと心配したが、それも無用の心配だったという事だろう。 「たとえ身体が疼く毎日となったとしても、お前の心は折れないのだろうな」 そんな心を必死に保つレフラが誇らしくも愛おしい。そして言いようのない程に哀れだった。 抗う事は苦しいはずだ。流されてしまう事は楽なはずだ。でも一番辛いのは、レフラ自身の矜持がそれを全て分かりつつも、折れる心を受け入れきれない事だろう。 ありのままを愛したい。そう思う気持ちを持ちながらも、早くギガイの元に堕ちてきて苦しむ事を止めれば良いとも思うのだ。泣くのは躾の中だけで十分なのだから。

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