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第104 病中の甘え 5
「…あの方が御饌様ですか?」
今し方目にした光景が信じられないのだろう。ギガイが消えた扉を唖然と見つめていたアドフィルが、ようやく口を開いた。
「あぁ、レフラ様だ」
ギガイの側近としてほとんど行動を共にするリュクトワスでさえも会ったのは今回が2回目だ。しかも一度も会話どころか視線さえも交わした事はないのだから、迎え入れに宛がった臣下を除けば、自分以外の者がレフラの存在を認識さえできないのは当然だった。
「見て分かるようにギガイ様の寵愛を一身に受けられている方だ。一切の干渉はしない事が英断だと思った方がいい。下手な事をすればあの愚か者の二の舞だからな」
名前を出さなくとも伝わる人物にアドフィルは顔を顰めた。いつだって感情の波立ちを感じさせず、冷たく静かなギガイが激高したあの出来事は臣下のみならず、黒族の民の間では有名な出来事だ。ただ事の詳細を知る者も少なければ、本質を知る者はさらに少ない状態だった。
「多くの者はアレが勝手な自己判断をした結果、ギガイ様の不興を買ったと思われているが、それだけではない」
「では他に何が原因だったと…」
「御饌様だ。御饌様に手を出さなければまだ猶予はあったかもしれないな。だがアドフィル、お前も覚えておいた方が良い。歴代の黒族長にとって御饌様への寵愛は並々ならない。わずかな干渉さえも疎まれるほどにな。それなのにアレはその禁忌に触れたという事だ」
アドフィルがまるで扉の向こうでも見るかのように、扉をジッと凝視した。
「この事をお前に伝える意味が分かるか」
「ええ、レフラ様こそが我が黒族の急所となるという事ですね」
首席庶務官として医癒者を除く文官を一同に取り纏めるアドフィルは、リュクトワスと共にギガイを支えて政の中核に居る存在だった。愚鈍では務まらない立場なのだから、一を聞いて十を知った応えにリュクトワスは満足そうに頷いた。
黒族長であるギガイをどうこう出来る者は皆無でも、跳び族であるレフラならば簡単なはずだ。黒族長に対する御饌の価値を一般的に知られてしまえば色々とマズい事になるのは明白だった。
「あぁ。だからこの事は他言は控えていろ。もしレフラ様へ誰か臣下を宛がう時は細心の注意を払う事だ」
リュクトワスの言葉にアドフィルは重々しく頷いた。
冷酷と名高く完全無欠だと思われている主のこんな話など、実際にその状況を目の当たりにでもしない限り信じられないだろう。それでも万が一が生じる訳にはいかないのだ。
ガチャと扉が開く音が聞こえ、ギガイの腕の中で掛け布に包まれた御饌の姿を目の当たりにすれば、改めてその思いを強くした。
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