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第141 非常な日常 9

レフラにとって救いなのは、ギガイの目に威圧するような冷たさがない事だった。 「赤く成ったり、青く成ったり忙しいな、お前は」 呼び寄せた瞬間にあった固さも、呆れたような表情に取って代わっている事に安堵する。 「離れる気はなかったんです…ただ、ククの実をギガイ様にあげたくて……」 「あぁ、分かっている。せっかくだ、このまま貰おう。だけど次からは気をつけろ。ちゃんと伝えてから動け」 「えっ?次?」 次が許されるのかと、レフラは見開いた目を向けた。 「あぁ。ただ、私が下に居る時だけにしてくれ。万が一に落ちたら、私が受け止めきれるようにな」 跳び族でさんざん言われていた御饌らしさからはかけ離れた姿を呆気なくギガイに許可をされて、レフラはただただ驚くしかなかった。 「どうした?」 「御饌らしくないと、もう止めろと言われるかと思いました」 「御饌らしいとは何だ?お前が御饌なのだからお前らしくあれば良い。心配なのはお前がケガをする事だけだ」 クシャリとレフラの頭が撫でられる。 「これぐらいなら落ちても私がどうにかしてやる。私がどうにか出来る事でお前に止めろとは言わない」 思ってもいなかった事ばかりを言われてレフラは胸が熱くなる。 口を開けてもハクハクと何も言葉が出て来ないのに、また涙だけがジンワリと浮かんで視界が揺れてしまっていた。 「お前は案外泣き虫だな」 「……お嫌ですか?」 とっさに謝って堪えようとした所で、レフラがグスッと鼻をすすって聞いてみる。 「まさか。それがお前なのだろ」 耐えきれなくて、ついにポロッと涙が零れ落ちた。 レフラをレフラとして認めてくれた言葉達が心に染みていく。 『自分を見て。自分の存在を誰か認めて』 かつて何度も祈るように願っていた。 だけど御饌としてのみ生きる事を求められた日々の中。レフラとして愛される事を諦めていた。 そんなレフラへ欲しかった言葉が与えられていく。 「ただ、慰めるのが上手くはないからな。正直泣かれてしまうと、どうすれば良いか分からん」 そうやって苦笑したギガイの顔が、もう涙で見えなくなっていた。 始めて自分を見てくれて、惜しみない愛情を注ぎ続けてくれた人。 こんなに幸せをくれるのに、それなのにほんのひと時だけ許された事だと思えば苦しくなる。 (本当に、終わってしまうんでしょうか……子を成すまでの事なんでしょうか…?) そうじゃない、と思いたかった。でもそう思うには、始まりがあまりに酷かった。だってレフラはあの日なけなしの希望さえも、1つ1つ自分の手で剥ぎ落とすしかなかったのだ。捧げるはずだった主には受け取ってもらえないままで。 吉数に込められた幸せへの祈りを、1つ、2つと留め具と共に剥ぎ落として。永劫を謳うはずだった3つ目の留め具と婚姻衣装を剥ぎ落とした絶望感は覚えている。 (永遠を誓い合うような相手なら、きっと臣下の方へ差し出したりはしないはず) だから終わらないなんて夢見る事さえできないまま、レフラはこの幸せの中で泣くしかなかった。 満たされた喜びと、終わりたくないと抗う気持ちに揺れながら。 失うのが怖いと、初めて泣いた。

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