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第166 揺れる足元 19
身体がひどく重たかった。目蓋越しに感じる光は、もう朝をとうに迎えていることを告げていた。
それでも身体を包む温もりがまだそばにあることを不思議に思いながらレフラは身体を起こそうと試みた。
「まだ寝ていろ」
頭上から聞こえた声にやっぱり、と思いながら顔を上向かせる。見慣れた主の姿を確認して、レフラは小首を傾げて見せた。
(ギガイ様、お仕事は?どうしてこんな日が高くなっているのに、二人揃ってまだ眠っているんでしょうか?)
「ギ…ッケホ」
呼び掛けようとした声は、あまりに掠れてひどかった。
「やはり声が嗄れたか。ちょっと待ってろ」
手を伸ばして脇机にあった水差しからコップに水を入れて身体を支えてくれる。そのまま差し出されたコップを受け取りながら、なんで?と思いかけたレフラの頭がようやく昨日の事を思い出した。
コップを持ったまま、勢いよくギガイの方を振り返る。水面が跳ね、手にわずかに水がかかった。
「零してしまうぞ、取りあえず飲んでしまえ」
水だと思ったコップの中身は薬草茶なのだろう。清涼な匂いの中にどこか青臭さが感じられ、飲み干してみれば匂いのままスッとした爽やかな飲み心地の後にわずかな渋みが残るようだった。
「ほら、これも口に入れろ」
差し出された蜜玉は熱を出して喉を痛めた時に含まされた物と同じ物なのかもしれない。
口の中に拡がる甘さが薬草の渋みを徐々に消していく。
その甘みが拡がるのに合わせて、レフラの視界が揺れていき渋みが完全に消える頃には涙がポタッと落ちていた。
「身体は…ひどく痛む所はあるか?」
いつもよりは少し固い、でも昨日に比べものにならないぐらい優しい声にレフラがフルフルと大きく首を振った。
「そうか……昨日の事は私は間違っていない、と思っている。必要があれば同じ事を何度でもやるだろう……」
その言葉にまだ許されていないのかと、レフラは目の前が暗くなるようだった。血の気が引いているのだろう。指先が冷えてカタカタと震えていく。
だけどその指先をギガイの手が温めるように包み込んだ。癒すように与えられる温もりや、触れる手の優しさは怒っているようには思えなくて、不安と戸惑いがレフラの中でせめぎ合う。
そんな中で覗き込んだギガイの目は深い濃褐色のような眼光だった。
「…だがお前をあんな風に扱いたい訳ではない……」
「ギガイ様…」
痛みを堪えているような声にレフラが目を見開いた。
「自分を傷付けてまで、お前は何に焦っている?お前は何を堪えている?」
「何に……」
「もういい加減、素直に話せ。このままでは、こんなことの繰り返しだ」
レフラの瞳に新しい涙が一気に盛り上がる。堪えきれない嗚咽の中で「だって…」と何度も繰り返す。そんなレフラの言葉を待ってくれているのだろう。ギガイが握った手を何度も優しく撫でていた。
「…だって私は御饌だから……」
「……」
「…子を成すための御饌だから……ずっとお側には居ることができないから…それが……それが…辛いんです……」
「……どういう事だ…?」
「始めは子どもを成すまでのことだって…ちゃんと分かっていたんです……でもギガイ様が隷属でしかない私にも優しくて…それが、とても嬉しくて…ずっとずっと一緒に居たいて思ってしまって……」
「私はお前を隷属と見なした事など1度もないぞ!」
「…やっぱり、ギガイ様はお優しいですね…そう言ってもらえて、嬉しいです……」
予想した通りの答えにふふっと思わず笑ってしまう。
良い御饌でいる間は大切にしてくれると言っていて、言葉の通り愛しんでくれる主だった。始まりがどうであれ、ギガイの日々の扱いは隷属に対するものではなかったから。
聞けばレフラを傷付けないように、そう言ってくれると思っていた。分かっているのに、その言葉が嬉しくて。そして、そんな自分のズルさがイヤだった。
それでもちゃんと気持ちは伝えたかった。
また溢れた涙を拭ってレフラがギガイへ微笑んで見せる。嬉しい気持ちは本当だから、涙で顔はぐちゃぐちゃでも心からの笑顔はきっと向けられた。
少しでもそんな喜びと感謝が伝われば良い。そう願いながら「嬉しい」とギガイの言葉に微笑んだ。
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