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第167 揺れる足元 20

嬉しいと泣くレフラの姿に苦しくなる。 名前さえ呼べなかったあの頃に、与えたかった幸せはこんな歪なものではなかったはずだ。 手に入れた時からは大切に慈しむと決めていた。何があってもこの腕で守ると決めていたはずだった。それなのに、なぜこんなことに成っているのかが分からなかった。 昨日の目蓋の腫れさえ引かないうちに、また新しい涙が頬を伝い落ちていく。 涙を拭うために伸ばした手にレフラが頬を擦り寄せた。初めの頃は掌を重ねるだけで瞳さえも交わらなかったところから、ここまで変わってきたはずだった。 「……そばに居られないとは何だ?共にずっと居れば良い。私は常に離れるマネはするな、と言っているはずだ」 それなのにどうして伝わっていないのか。焦りともつかない感情に心が乱れて苦しくなる。 「…私から離れたりは致しません…」 「それならーー」 「…でも子を成すことが役目です…成した後は私は何のお役にも立てません…ただの荷物でしかないことも辛いんです……」 笑顔が失敗したのだろう。笑いかけた顔が歪んで、また涙がポロリと落ちていく。 その姿にギガイがレフラの身体を抱き寄せた。 離す気がなく。 離れたくないと願っている。 それなのにそばに居るのが辛いというのはどういう事なのか、ギガイの思考が追いつかない。 「お前が荷物になど成るはずがない。お前は私にとっての唯一だ。お前以外には何もいらん。求めているものはお前だけだ」 そう唯一無二の存在として、愛しんでいたはずだった。 「…本当に、ギガイさまは優しいですね…そう言ってもらえて嬉しいです……」 「それなら何も気にせず、ずっとそばに居れば良い」 「…ありがとうございます…そう言って下さって…。お優しいから…本当は…そばに居たいってお伝えしたら、ここへ置いて頂けるんじゃないかってちょっと期待してました……」 悪戯めいた言い方で、ふふっと笑ったレフラの声は自嘲染みた響きを含んでいた。 「そんな卑怯なことを考えるような至らない御饌でごめんなさい…覚悟が足りていませんでした」 ギガイの胸にするりと顔をすり寄せて、キュッとギガイの袂を握りしめた。 「それの何が卑怯だと言うんだ?お前は私の御饌だ、そばにいることの何が問題だ?」 「…そう言わせてしまうと分かってて、伝えてしまったことはやっぱり卑怯です……」 「伝えろと言ったのは私だ」 何を言っても嬉しいと泣きそうになるだけで、心へ伝わらないことがもどかしかった。 あと何の言葉を重ねれば伝わるのかも分からずに、今のギガイには取るべき方法が定まらない。 「でもそう言わせてしまったのは私の弱さです。だから、ギガイ様は私に遠慮などせずに居て下さい。私はお側に居られる今が幸せだから、十分です」 抱き寄せた温もりが多少の癒しになったのかもしれない。涙を拭ったレフラが覚悟を決めたような凛とした顔で笑いかけた。 その顔に、思い出したのは始まりの日々だった。 歪な幸せに笑うレフラを見て、ギガイが強く奥歯を噛み締める。いつか答えを知る日が来ることも想定しながらも、唯一と思うレフラの傷としては見たくなかった。 (間違った、ということか……) 時間が巻き戻ることがない以上、過去を見ても意味がないと知っている。悔いることを許されていなかったギガイには、この状況を正すために次の策を考えるだけだと分かっている。 だけど歪に幸せだと笑うその顔を前にして、ギガイには取るべき道が見えなかった。

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