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第17 移り香に揺れて 4

「……ふぅ」 こういったことに慣れているギガイにとっては色気も感じない言葉だとは分かっている。だけど恥ずかしさを堪えて伝えた言葉だったのだ。それなのに返ってきたのは、そんな溜息だけだった。 「今度はどうした?」 しかも向けられた目はこちらを探るような目で、どこにも情欲らしいものは見つからない。思ってもいなかった状況にレフラはコクッと唾を飲んだ。 「どうもしません」 勘が鋭いのか、洞察力が秀でているのか。ギガイの言葉に一瞬レフラに動揺が走る。それが表に出ないようにどうにか抑え込んで、レフラはフルフルと首を振った。 これまでの経験で、こういった時に微笑んで見せてもダメだと知っている。レフラは眼を見開いて、少し驚いたように見える表情を意識した。 だけどその後に聞こえてきたのは、そんなレフラのごまかしを全て消し去ってしまうような冷たいギガイの言葉だった。 「何を気にしているのかは分からんが、お前を損なうマネは許さんと何度も言っているはずだ。なぜこんな状態で無理を重ねようとする? このままだとまた前のように仕置きだぞ。そんなことには成りたくないだろ」 スルリと頬を添えられたギガイの手がレフラの顔を固定して目を真っ直ぐに覗き込む。眼差しが冷たさを増していく様子に、レフラの中に怯えが募っていく。 「ご、ごめんなさい!いやです!仕置きは、いやです!」 逸らすことができないように固定された顔は、ろくに首を振ることさえできなかった。それでも過る記憶にギガイの手を握り返しながら、レフラは懸命にフルフルと訴えた。 「…様子がおかしいと思えば、やはり誤魔化しか」 「………」 本音を聞き出すための誘導だったのかもしれない。途端にギガイの冷たさがフワッと溶ける。 戸惑った目で見つめたレフラの前で、ギガイがもう1度盛大に溜息を吐き出した。 レフラの方を真っ直ぐに見つめる眼が、いつもの蜂蜜色の柔らかさを保ったまま、睨め付けるように細められていく。 「なぜ誤魔化す? 私は素直に告げろと言っているだろう。それほど私は頼りにならないのか?」 「ち、違います! ギガイ様が頼りにならないなんて、そんなことはありません!!」 まさかの言葉だった。 「だがお前はそうやって、何も言わずに無茶ばかりをするだろう」 「……」 「誤魔化すのはやめろ」 身体を起こしたギガイがレフラの身体を抱き寄せる。 「……ギガイ様は茶の香が好きなんですか?」 「茶の香?」 無理に話題を変えようとしていると思われたのか、ギガイが訝しげな目を向けてきた。その視線を受けながら、レフラがソッと目を伏せた。 「今日焚いていらっしゃったでしょう?」 「それがどうした?」 「その時に思ったんです。ギガイ様の唯一だと仰ってもらえてるのに、私はギガイ様が何を好きかも分からない……分かっても何も持たない私では、ギガイ様に何かを差し上げることもできないって……」 ずっと子を成すためだけの存在だと信じていた頃は、子を成した後はただの荷物でしかないと信じていたぐらいなのだ。 嫁いだ頃から、ここで何かを成す力がないことは分かっていたはずだった。 唯一無二だと愛しんでもらえても、その無力感は消えてはくれない。むしろ与えて貰えばもらえるだけ、何も与えきれない自分を痛感してしまうのだ。 きっとギガイは気にするな、と言うのだろう。そんな予感がレフラにはあった。でも。 「与えてもらうだけで、何も差し出せない。そんな自分が情けないんです…」 ギガイを誰よりも労って愛したいと思うのに、ギガイの周りに|侍《はべ》ろうとする者達が出来ることがレフラには難しいことなのだ。 「本日ギガイ様がお会いした白族の方には、きっと容易いことだと思ったら…悔しかったんです……」 みっともない嫉妬まで入り混じった劣等感。 こんな自分にギガイが呆れてしまわないか不安だった。レフラは唇をキュッと噛んだ。

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