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第26 移り香を咎めて 5
「…ぅ…ぅぅ……やっ、だ…ぎが、いさま……いやぁっ……」
レフラの身体の上に大きな影が落ちて、部屋に差し込む明かりがわずかに遮られる。
「大丈夫か?」
長く感じられた時間も、本当はさほど経ってはいないのかもしれない。
いつの間にか戻ってきてくれていた、ギガイの掌がレフラの頬を拭っていく。
約束した通り匂いを落としてすぐに戻ってきてくれたのか、肩からタオルを掛けただけの身体は、雫さえもろくに拭われていない状態だった。
その優しい感触にさらに溢れてしまった涙と、ギガイの濡れた髪から垂れた雫が混ざり合って流れていく。
ギガイの言いつけ通り、今にも自分で慰めてしまいそうな腕を理性でどうにか押し止めて、ずっと耐え続けた状態なのだ。
もう身体の疼きも理性も限界に近かった。
戻ってきてくれたギガイの姿を認識して、レフラの心の緊張がホッとゆるむ。ますます増えた涙のまま、ギガイの方へ震える手を伸ばす。
悶え続けた疼きはとてもツラかった。でも今はそれ以上に、独りはイヤだと心がひどく慄いていた。いつものように抱き締めてくれる腕や温もりが欲しかった。
それなのに返ってきたのは、また指先へだけのキスなのだ。
「ツラそうだな、待ってろ」
触れるようなキスだけで、掬い上げてもらえない。温もりを求めた手が、とらえ損ねてパタリとシーツの上に落ちる。
そのまま寝台を立ち上がり扉へ向かってしまうギガイは、いったいどこへ行くのだろう。その背中に丸薬を使われた日の背中が重なった。
「……ぃや…、…な、ぃで……」
遠ざかる背中に今度は必死に腕を伸ばす。だって差し出しただけの手では、ギガイの方へ引き寄せてはくれないのだ。だからあの日のように扉に手を掛けていたギガイへ向かってレフラは必死に腕を伸ばした。
「どうし、て、やだ…行かないで、どうして…! どうして…!!」
ワガママだって言っても良いって言われていた。今回は言いつけを守ってちゃんと大人しく待っていた。良い子で、良い御饌でいたはずだった。
『怒っている訳じゃない。お前を案じているだけだ』
そう言ってくれたから、魅毒とかいう香りがなくなれば、ちゃんといつものように抱き上げてくれるのだと思っていた。
それなのに求めて伸ばした腕は、抱き返してもらえなかった。
このままじゃ、またあの日感じた絶望がレフラの心を飲み込んでしまう。
「もう、ヤダ! ヤダぁぁ!! どうして、どうしてですか? 他の方は抱き寄せたのに、どうして私はダメなんですか?」
首筋へあんなに匂いが移るぐらいそこに擦り寄った誰かがいたはずなのに、なぜ自分は許されないのかが分からなかった。
不調の中で孤独を呼び起こされる状況に理性が押し流されていき、涙がぼたぼたと落ちていた。子どもみたいにみっともなく泣き叫んでいるような姿なのだ。呆れられるかもしれない。
そうしたら、今度こそ本当に独りになってしまう。
でも堪えたところでダメなのだから。
「…どうやって、ワガママを言えばいいの……」
何をどんな風にねだればこんな孤独に怯えずにすんだのか、分からなかった。
「おい、レフラ!」
慌てたように寝台へ戻ってきたギガイの腕が、ようやくレフラを掬い上げる。そんなギガイの首に回した腕はみっともないぐらいに震えていた。
「…… こんな香り、なんてキライ…… 抱き寄せて、くれない、ギガイさまなんて、キライ……キライ、どうして……いや…もぅ、キライ…」
“キライ” と繰り返しながらも、ギガイへギュッとしがみつく。初めてギガイへ対して口から零れた “キライ” という言葉が、レフラの胸を締め付けてズキズキとした痛みをさらに生んでいた。
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