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第35 移り香を咎めて 14
かつて書庫で聞いた言葉と同じ言葉だった。またムスッとした表情でそう言ったギガイに、レフラも困った表情を思わず向ける。レフラだって触れ合いたくないわけじゃないのだ。
「でも、他の方に見られたくありません……」
「当然その時は人払いをしよう」
「そうじゃなくて……だって、ギガイ様とキスをしたら、いつだって気持ちよくて……その後に普通の顔なんてしていられません……」
いつだってキス1つで溶かされてしまう状態なのだ。そんな顔を他の人に見られるなんて考えただけで居たたまれない。
「それにもし顔を見られてしまったら、ギガイ様もその方を怒ってしまうのでしょう?」
かつて、情事の後を匂わせる表情をもしいつもの3人が見たら、そんな彼等を処分したくなるとまで言っていたようなギガイなのだ。
「だから、ダメです……」
ねっ? と軽くキスをして、縋るようにギガイの方を見つめ返す。
キスをするような近距離で、琥珀のギガイの眼とレフラの眼が重なり合う。その途端にギガイがなぜか身を引いて大きく息を飲み込んだ。
「ギガイ様?」
そのまま片手に顔を埋めてギガイが盛大な溜息を吐く。何か不快にさせてしまったのか、それとも困らせてしまったのか。心当たりがないレフラは、そんなギガイの姿におろおろするしかない状態だった。
「……お前の無自覚はホントに厄介だ……」
そのまま腕にレフラを抱え込んだギガイが、レフラの肩に顔を埋めた。
「どうしたんですか?」
珍しいギガイの姿にレフラが戸惑ったように手を伸ばす。いつもギガイがしてくれる感触を思い出しながら、少し固めの髪を指で何度も梳いていく。
「……はぁーっ。早く祭りが終わればいい……お前との時間がほとんど取れず、あまりにも苦痛だ……」
今まで一度も聞いたことがないようなハリのない声で、弱音を吐くギガイの姿に目を見開く。胸の奥がキュッとなって、言いようのない感情が湧き上がる。下手をしたら泣いてしまいそうなその感情のまま、レフラはギガイの頭を抱き締めた。
「終わったら二人でゆっくりしましょう。いつも私のやりたいことばかりだから、 その時はギガイ様のやりたいことを色々やりましょう」
腕の中の頭に柔らかくキスを落として、ギガイの耳元に唇を寄せる。レフラの言葉に反応するようにギガイの頭が身じろいだ。
「終わった後の褒美か。それはいいな」
「はい、だから何がしたいのかも考えといて下さいね」
顔を上げたギガイがフワリと微笑んだ。満面の笑みには程遠い、口元だけのささやかすぎる笑みだった。それでも何も気負わず感情のままに浮かんだ表情だったのだろう。細められた眼の眼光と、その声音と相まって、嬉しそうな雰囲気が伝わってくる姿だった。
できて当たり前。こなして当たり前。覇王として孤独を強いられてきた中で、きっとこの主は全てを自分の力で勝ち得たはずなのだ。
そんな主に褒美なんて、と思いながらも、自分の力で勝ち得るのではなく、誰かから優しさの中で与えられる幸せも知って欲しかった。
(私が日々与えてもらえてる幸せを、少しでも同じように感じてくれたら……)
気持ちに動かされるままに手を伸ばす。ギガイの頬に掌を添えながら、ギガイの唇に唇を寄せた。いつものように軽く触れて離れるだけでなく、軽く食んで開いた隙間に舌を差し込む。
ギガイのような技巧はない。ひどく稚拙だとは分かっている。快感を紡ぐことはなく、ただ胸に湧き上がる想いだけを伝えるためだけのキスだった。
わずかな水音のあと。
「…こんなキスでももし良ければ……休憩の時に……たまには……」
挨拶にしては情が絡んで、欲にしては色気が足りない。きっとそんなどっち付かずのキスなのだ。それでもギガイから煽られることなく、レフラからできる精一杯のキスだった。
顔がひどく熱くなる。そんなレフラに向けられていたギガイの目が、一瞬大きく見開かれた。
「あぁ、十分だ」
そのままギガイの目が細められ、柔らかな笑みが顔に浮かぶ。その幸せそうな表情に、レフラもフワッと微笑んだ。
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