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第166 深淵を覗いて 4
処刑執行の朝だった。今日で全てが終わるという中で、イシュカの心はこの数日の中で、1番凪いでいた。
「……レフラと、最後に話をさせてもらえませんか?」
鉄格子の前に立つ、見張りの兵へダメ元で願ってみる。一瞬顔を顰められながらも、何か事前のやり取りがあったのか。何も言葉がないまま、イシュカの願いは聞き届けられた。
ほどなくして感じた気配に、格子の方へ顔を上げた。そこには、かつて見慣れたレフラの姿が佇んでいた。イシュカの牢の中からは見えないが、きっと死角になった位置にはあの黒族長も控えているのだろう。あからさまな威圧感はないまでも、空気がどこか張り詰めているようだった。
「……お前が、話したいことがあると聞いた」
無言で見上げるイシュカにしびれを切らしたのか、先に口を開いたのはレフラの方だった。
「あぁ、そうだな。お前には、いまさら俺に興味はないだろうが、こんな所へ付き合わせて悪いな」
「……そんな訳は、ないだろう……お前は私の兄弟だ。……例えお前がそう思っていなかった、としても……」
「思っていなかったか……。俺はお前が嫌い、だからな……」
「あぁ、知っていたよ」
「そうか、なら、せっかくだ。恨み言の1つでも言えば良い」
跳び族でイシュカがレフラへ向けていた態度は、決して褒められたものではないだろう。今さら謝って許しを請うたり、心を改めたフリはしない。それでも、イシュカへ言うだけの権利も、立場もあるレフラだ。最後ぐらいは、溜まりに溜まっているだろう、恨み言を聞くぐらいは構わなかった。
「いや、それはいい」
でも、当のレフラにはそんな気は全く無かったのか。返ってきたのは恨み言ではなく、短くもハッキリとした断りの言葉だった。
「今さら私が、お前にそれを告げても、死んだ者や傷付いた者が癒される訳じゃない……無意味だ……。それに、私はお前が嫌いではなかったよ……。ただ、未来を選べるお前が、一族を導いていけるお前が……うらやましかった……」
微笑は浮かべたまま、それでも少し尖った声音に、真っ直ぐに向けられた目。それは羨望と妬み。そして、焦りと失意を含んだものなのだろう。イシュカ自身、ひどく覚えのある感情なだけに、その痛みが伝わってくるようだった。
「……そうか、うらやましかったのか」
同じだったのだと気が付いて、改めて、レフラの顔をハッキリと見つめてみる。向かい合って、こうやって話しながらも、たった今まで何を見ていたのか。ようやく微笑を浮かべるレフラの目の奥に、悲しみを押し隠して、自分を見ていることに気が付いた。
『アレは痛みを受け入れ、1人で堪えるタイプだ』
ギガイがそう言っていたことを思い出す。
こうやって、いつも浮かべていた笑みの下に、どれだけの痛みを押し殺して生きてきたのか。そして今も、こんな自分の死を前にして、なぜ痛みを抱えてしまうのか。
(……お前はバカだな、こんな俺のためにも傷付いて……)
でも、1番愚かだったのが、誰だったのかはもう知っている。
「……だから、お前には別な可能性も見て欲しかった。私達には力はない。だけど、地を駆ける力も身の軽さも、他種族よりは秀でている。戦闘には向いていなくても、土や木や、花や草と生きてきた。そんな私達だからこそ、できる事があったはずなんだ……」
「……ギガイ様と同じ事を言うんだな」
愚かさに、もう少し早く気がつけたなら。その事実を、もっと早く受け入れられたのかもしれない。そうすれば、きっと色々なことが変わったのだろう。
「ギガイ様と?」
レフラが驚いたような顔で、チラッと少し離れた場所へ目を向ける。その表情から判断するに、きっとそこで黙ってレフラを見守っている黒族長は、レフラへ先日の件を何も告げてはいなかったのだろう。
「……どうか、今の言葉を、シャガトに伝えてやってくれ。きっとアイツなら、上手く皆を導いてくれるだろう」
イシュカはレフラの言葉には応えずに、そう告げた。今日ここへレフラを呼んだのは、これを告げるためだった。
そして姿勢を正して、レフラへ深く頭を下げた。
「その上で、あの者達が助けを求める時は、どうか一族を護る力を貸してくれ。私が言えた義理ではないが、新しい道を進めるよう、あの者達を助けてくれ」
イシュカが頭を下げる前で、レフラは何も言わないまま、キュッと手を握り締めた。わずかな沈黙が流れていくのは、言う言葉を探しているのか。それとも何も言えないのか。
祈りに近いような気持ちの中。
「この先は新しい跳び族長との交渉となるが、最大限に考慮だけはしてやろう」
不意に聞こえたギガイの声に、イシュカがバッと顔を上げた。さっきまで姿を見せなかったギガイが、レフラの横に立っていた。
苦しみながら死んでいけと言われていた。だが、心の底から悔いたいま、逆に憑きものが落ちたようだった。
「……ありがとう、ございます……」
絞り出した声が、湿って掠れていた。愚かさが、今さらのように身に染みる。
悔いて改めるには、多くの者が傷付いて、命が失われ過ぎていた。
それでも、最後に望みを残せた事は、イシュカの救いになっていた。
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