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眼鏡くん、もとい、嫁は、きょとんとした顔で眼鏡を受け取ると、はっと気づいたようにそれを装着して、床に散らばった俺の文房具をかき集め始める。眼鏡の奥に隠された、今は泣きそうにゆがめられた大きな瞳。柔らかそうでいて艶のある黒髪。小さくてちょっと尖った唇。白い肌。小柄な背中。全てが、全てが! ペンケースのフタで微笑む嫁、春ちゃんそのものだった。
まるで二次元から春ちゃんが飛び出してきたような錯覚に陥った俺は、ごめんなさい、とペンケースを差し出した手を、ガッシリと握って叫んでいた。
「これこそ俺の嫁!」
「……はい?」
目をきょとんと開いて小首を傾げるその仕草がああああまさしく春ちゃんそのもの! 感激のあまり俺は握った手をぶんぶんと振り回した。ペンケースがガッシャンガッシャンとすさまじい音をたてるが、今の俺はそれどころではない。
「同じ二年? 何科? 名前なんていうの? あ、俺周藤貴也っ」
「え、あの、」
「やべーまじで嫁だわ、生きててよかった、なんという二・五次元」
「ちょ、手、離し、」
「はーいそれじゃあ授業始めまぁす」
なんというバッドタイミング。講師の先生が教室に入ってきて、ざわめきは一気に収束していった。空気よめ。講義が始まってしまったので、俺は仕方なく椅子に座った。隣の嫁……彼も少し戸惑いつつも席につく。
大学の講義なんてゆるいものだが、この先生は結構私語に厳しい。なので、なおも眉を下げて落ち着かない様子の隣の彼へ、俺は自分のノートの端をグイと突き出した。その隅に荒い字で書きつける。
『何年? 何科?』
今度は答えをじっくり待つ。わずかに逡巡したものの、嫁……彼は、ペンを顎でカチカチやると、硬質な字でゆっくりと応えた。
『二年 機械科』
簡素だけども返ってきた答えに、思わずニンマリと頬が緩む。
『タメじゃん オレ工学科 名前は?』
『川住 』
『下は?』
『春』
俺は思わず授業中ということも忘れて立ち上がるところだった。と自分では思った。実際はしっかりと立ち上がっていた。椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がっていた。教室中の視線が突き刺さる。講師の先生も黒板によく分からない数式を書く手を止めて、ぽかんとした顔で俺を見ている。
「……君、何か」
「ッあああ俺は大丈夫です、お構いなくッッ」
早口でまくし立てて席に着く。また周藤の奇行かよ、とくすくす笑う声があちこちで聞こえてくる。違う、違うんだ、だって、顔までそっくりなのに名前まで春って!
「あ、あの……俺何か変なこと言った?」
こそっと聞いてくる彼に、震える手でノートに返事をする。
『名前 ハルっていうの?』
リアル嫁改め川住春くんは、はっとしたように『春』の横に平仮名で『しゅん』とふりがなをふった。
あーシュンかー。シュンくんかー。まあいい。何、この奇跡。俺は彼と出会うためにこの大学に来たのかもしれない。それくらいの奇跡だ。
しかし、機械科とは。少し意外な気がした。
機械科は、情報処理を主な分野とする俺の工学科と違ってより実技的な技能を学ぶ学科だ。つまり職人さん。声も態度も小さくて臆病な小動物のような彼と、その学科のイメージとはまるで結びつかない。
改めてその顔をまじまじと見る。特別女顔というわけではないのだが、男にしておくにはもったいない可愛さだ。そして俺の嫁こと春ちゃんに、本当によく似ている。ああ、眼鏡を外して髪を結んで忍装束着せたいなあ。同じ二年ということは別の教養科目でも一緒だったはずなのに、今まで気づかなかった俺の馬鹿バカ。
さて。先生をちらりと見ると、時折手元の本に目を落としながら板書している最中だった。よし、今ならいける。俺は隣の彼にぐいっと顔を近づけると、その耳元に素早く囁く。
「授業終わったら連絡先教えてよ」
「え?」
「俺、きみと仲良くなりたいんだ。だめ?」
我ながらナンパみたいだと思いつつ相手の反応を窺うと、きょとん、と丸くした目が可愛い。そこに追撃、俺の必殺スマイル。二次元ならバックに花が添えられるようなこの笑顔は俺の超必殺技だ。ね、と駄目押しの一声をかけると、彼は、わずかに目を伏せながらうなずいてくれた。
授業が終わったあと無事に嫁の連絡先をゲットできた俺は浮かれすぎていて、そのあとどうやって家に帰ったのかをよく覚えていない。
とにもかくにも。こうして俺と嫁、もとい、シュンとの日々が始まったのである。
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