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「周藤、今日こそ俺らに付き合えよー」 「わり! 本日はバイトでありますっ」  退屈な授業が終わるや否や、俺は山田くん(推定)たちを振り切って講義室を飛び出した。本当ならこの足でシュンの元へ駆けつけて一緒に帰ったりどこかに寄ったりしたいのだが、毎週水曜日は早い時間にバイトが入っていた。どのみちこの日はシュンの方が先に授業が終わるのだけれど。  小走りで大学の自転車置き場へ向かい、愛用のママチャリにまたがった。因みに自転車の鍵につけているキーホルダーももちろん嫁である。ゲーセンで五千円つぎこんだ曰く付きのものだ。後輪でカラコロと軽快な音をたてる嫁に励まされているような感覚を覚えながら、街をひた走る。五分もしないうちに息があがるが速度はゆるめられない。 「うおおうなれ俺の両脚……!」  俺のバイトは書店の店員である。一応注釈を入れておくが、ごく一般的な書店だ。大学から少し遠いのが難点だが、自転車で行けない距離ではないし、給料もそれなりに良い。遅くても十時には上がれるから深夜アニメにも影響はない。そして何よりも、漫画やライトノベルの新刊情報をすぐにゲットできる。オタクにとってこれほど恵まれたバイトがあるだろうか。  なんとかシフト五分前にたどり着き、店の裏に自転車を停める。急いで裏口から入り、ロッカーからエプロンを取り出して、歩きながら身につけた。慣れた動作でタイムカードをきって店内に出た瞬間、時計の針は四時ちょうどを指した。 「周藤くんギリギリー」  先輩の宮内さんがほがらかに笑う。触れたら折れてしまいそうなほど小柄な女性だが、雑誌がみっちりと詰まった一抱えもある箱を一人で軽々運べるということを、俺は知っている。細腕怪力キャラは二次元のみの存在だと思っていた俺の認識を覆した人物だ。 「今日こそダメかと思ったっす……」 「あはは、疲れた顔も男前だねー」  片手で伝票を繰りながらばしばし背中を叩いてくる。結構痛い。でも美人なので許す。叩かれたところをさすりながらホールに出る。仕事は在庫の棚卸しと、商品の整理から始まる。特に雑誌のコーナーは立ち読みでぐしゃぐしゃに並べられていることが多い。それなりに大きな店舗なので雑誌のコーナーもだだ広い。自転車で疾走したあとに取りかかるのは少し億劫だったが、仕事だもの、仕方ない。  店の一番入り口に近いところにある雑誌コーナーでは、案の定数人の客が思い思いの雑誌に目を落としていた。俺の愛読しているアニメ雑誌を手に取るものもいて、同志よ、と抱きつきたくなるが、そこはぐっとこらえる。  誘惑の多いアニメ関係の棚は後回しにして、俺が最も興味をそそられないスポーツや車関係の棚のところへ行くと、見覚えのある、いや、ありすぎる姿があった。長めの黒髪、ブルーのチェックシャツ、ほんのりと曲げられた猫背。間違いない、俺の愛しの嫁だ。違う、愛しの川住春だ。 「シュン!」  仕事中だというのに思わず声をかけると、シュンは文字通り飛び上がって、スコーン!と、すさまじい勢いで雑誌を棚に戻した。 「すっすすす、周藤くんっ?」  なぜそんなにどもる。とにもかくにもやはりシュンだ。驚いた顔も本当にかわいい。俺にはアニメ特有の飛び散る汗のエフェクトが頭上に見えた気がした。今日は会えないと思っていただけにその喜びは大きい。俺は作り笑顔ではなく心から満面の笑みを浮かべて、自分のエプロンを摘んでみせた。 「俺、バイト中」 「えええっ、こ、ここでバイトしてるんだっ」  だからなぜどもる。何か見られては嫌な本でも読んでいたのだろうか。棚に目をやるが、シュンが見ていた雑誌がどれなのかはよく分からなかった。 「何読んでたの?」 「えっ! なな、何でもないよっ」  怪しい。テンプレのように怪しい。何だ、エロ本か? いや、この棚にはスポーツ関係と車関係の本しかないはずだ。その中で、人に知られたくないようなものって何だろう。じ、実はプロレスが好きとか? いや、俺はシュンが何を好きでも愛する自信がある。たとえ、ムチムチのおっさんが裸同士でぶつかり合っているその光景を恍惚とした顔で見ていたって、俺はそんなシュンを愛しい眼差しで見守る自信があるぞ! 「ね、何読んでたの?」 「あっあのあの、たた、立ち読みしててごめんねっ、今日財布忘れて、その、今度必ず買うからっ」  嘘だ。俺は知っている。今日シュンは俺と一緒に学食で昼食をとった。シュンはラーメンの大盛りを食べていた。財布を持っていないはずはないし、その中にまだ札が残っていたのを俺は見ている。更にシュンは電車で通学しているので、駅前のこの書店にいる時点で、一度帰宅したというのも却下。それに今シュンは明らかに話をそらした。やはり俺に見られたくない何かなのだ。おお、俺は名探偵だったのか?  シュンの狼狽っぷりは、ただ立ち読みの後ろめたさだけから来るものとは思えなかった。引きつり笑い、とでも言うのだろうか。今までに見たことがないほど慌てた顔をして、視線が宙を泳いでいる。 「その、俺帰るから、バイトがんばってねっ」 「え、ちょ、シュンっ」  内心で自問自答し始めた俺をよそに、シュンはそそくさと帰ってしまった。  俺の中で何かがムクリと首をもたげる。馴染みのないその感覚は恐らく、好奇心と、苛立ちだ。シュンは俺に何かを隠している。そのことに対して、知りたいと思う好奇心は当然のように湧いてくる。しかしそれ以上に、俺の知らないシュンの顔があるということにある種の苛立ちを覚えていた。  その感情に自分自身驚いた。俺はそんなに心が狭かっただろうか。友人関係に対してそこまで束縛が強かっただろうか。  あれ、なんか俺、変だ。  俺はモヤモヤした気分の中バイトを終えた。いつもは必殺イケメンスマイルで繰り出す爽やかな「いらっしゃいませー」も、今日は「らっしゃーせぇ」としぼんでしまうような具合だった。  店の裏口に停めた自転車のストッパーをガシャコンと解除すれば、後輪で嫁のキーホルダーがチャリンと揺れた。今までは、嫁の笑顔を見ていれば嫌な気分も何もかも吹っ飛んだ。そうだ、今日はとことん嫁DVDを見よう。何ならエロ同人にも手を出してしまおうか。うん、モヤモヤしたときはこれに限る!  不必要なほど勢いをつけてペダルを漕ぎ出した。

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