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数日後、ある日の午後。
「あ、れ……?」
既に二度探したロッカーの中をもう一度かき回して、俺は首をかしげた。
あまり規模の大きくないうちの大学は、それでも学生ひとりひとりにロッカーをひとつ与えるくらいの寛大さはある。一階の正面玄関を入ってすぐに左手、二階のホールまで吹き抜けになったそこに全学生分のロッカーがずらりと並んでいる。工業大学ゆえ使用する道具が多く、ここでは収まり切れなくて大概の学生は研究室などにもごちゃごちゃと物を置いていることが多かったが、それでもよく通る場所に私物が置けるのはありがたい。
その、俺のロッカーに突っ込んでおいたはずの製図用の道具一式が見当たらない。まとめて以前はまっていた魔法少女モノアニメの巾着に入れて、ロッカーに突っ込んでいたはずなのだが。
「あれれ……?」
もう一度だけ、物でぐちゃぐちゃのロッカーをかき回してみる。出てこない。そもそもあんな大きくて目立つドピンクの袋を見落とすわけはないのだ。となると授業で使ってどこかに置き忘れてきたか、――あるいは。
「あれえ? 周藤どうしたの?」
広いロッカー置き場に大きな声が響き渡ってビクリとする。二階のホールに続く螺旋階段を降りてきたのは、三銃士の中のひとりの、伊藤くん(推定)だった。例のリア充三銃士の中では唯一俺と同じゼミに所属している。最近あまり話しかけてこなかったくせに、妙にニヤニヤしていて楽しそうだ。
「なんか困ってる顔してるけど」
「……別に」
バタンッと大きな音をたててロッカーを閉め、わが嫁春ちゃんのラバーストラップ(大)がついた鍵を回し、ふと気づく。俺、この鍵をどこに保管してたっけ。
「あ、そうそう。先輩が言ってたんだけどさあ、お前ゼミ室のロッカーに鍵を差しっぱなしにしてたら危ないよ?」
コン、と。横から頭を木槌で殴られたような衝撃だった。
「まあそれだけなんだけど。ほいじゃまた明日なー」
ニヤニヤニヤニヤ、嫌な笑みを残して伊藤くん(かな?)は立ち去っていく。後に残された俺はしばらく動けないでいた。
ここまで強い悪意に触れたのは、初めてだった。足元が崩れる。知らなかった。どうでもいいと思っている相手でも、嫌われるとこんなにつらいんだ。
「……周藤くん?」
それはきっと本当に偶然だった。授業を終えて帰ろうとするシュンが自分の荷物を置きにロッカーホールに立ち寄ったとき、俺はまだそこに立ち尽くしていた。
「あれ、今日はもうとっくに終わったんじゃなかったっけ」
「シュン……」
明らかに顔色の悪い俺を心配してくれているのか、シュンは荷物を両手で胸に抱えて小走りで駆け寄ってきてくれる。ああ、その手で抱えられたのが無骨な工具箱じゃなくて、かわいいふわふわのぬいぐるみとかだったらよかったのになあ。レンチがはみ出てるぞレンチが。
「どうしたの? 何かあった?」
そんな風に顔を覗き込んでくれたりなんかするから、俺は、俺は、あああ。
「ん、と……製図用の道具がなくなっちゃって」
「ええっ。周藤くん設計の授業とってたよね。それって困るんじゃないの?」
「う、うん」
設計基礎の授業は水曜、明日だ。なので今日のうちに道具を出しておこうとロッカーを探していたわけなのだが。
同じ授業をとっていない他のやつに借りるとか、ゼミの先輩に借りるとか、色々あったはずだ。だけど今は頭が真っ白でうまく考えられなかった。要領をえない返事を繰り返していれば、シュンの細っこい手が俺の手をガシリとつかむ。
「俺も付き合うから今から買いにいこ。もう学校の売店はしまっちゃったけど、街中の文具屋なら間に合うよ」
シュン~……。なんて男らしいんだ。何も言わずうなずいたけれど、後から考えれば、普通は探そうとか、そのうち出てくるよ、とかの考えが先に出てくるはずだ。俺の様子から状況を察して、もうそれらが出てはこないことを悟った上での提案だったのかもしれない。可愛くてまっすぐでいい奴なのに、空気まで読めるのか。さすが俺の嫁、完璧だな。
そう考えたところで、最近シュンを見て春ちゃんの姿を重ねることがなくなってきた自分に気づいた。
「いいのあった?」
「うーん、とりあえずコンパスとシャーペンさえあれば、あとは何とか」
製図用の筆記用具は当然ながら普通の文具とは違うので、多少値が張る。地味だが痛い出費だ。ううう、今月はアニメ雑誌は我慢かなあ。しかし街中の文具屋の品ぞろえが充実していてよかった。うちの大学の学生向けなのかもしれないが、ショッピングビル内の店舗とは思えないほど、本格的な業務用文具がそろい踏みしていた。とりあえずは明日の授業でなんとかなるだけのものを確保してレジに並んでいると、隣にいたシュンが妙にそわそわしていることに気づいた。文具屋の隣にある本屋が気になるようだ。
「シュン、なんかほしい本でもある?」
「えっ、いやあのっ」
そういえば以前、俺のバイト先の本屋で遭遇したとき、シュンは立ち読みしていた本を俺に見られたくなくて慌てていた。なるほど、気になる本があるが俺の前じゃ行けないのだろう。そこまでして隠したいものが何なのか気になるが、俺だっていくらオープンオタクとはいえシュンの前で激エロ同人誌は買えないしなあ。ここは漢として懐の深さを見せつけてやろうじゃありませんか。
「行ってきなよ。会計終わったら一階でコーヒーでも飲んで待ってるから」
「う……じゃあ、ちょっとだけ」
余程見たいものがあったのか、言うが早いかシュンは列を外れて本屋のほうへと早歩きで向かっていった。
その後ろ姿を微笑ましく見送って、お会計を済ませる合計三千七百円なーりー。ううう、三千七百円あれば最近気になっていたアイドルゲーのアルバム買えたじゃん。ラノベなら五、六冊。唯一やっているソーシャルゲームの課金ならガチャ八回分!
やめよう。むなしくなるだけだ。明日からもバイト頑張ろう、うん。
買い物袋をリュックに仕舞いながら一階へ向かっていると、尻ポケットで携帯が震えた。シュンから『少しかかりそう。もう遅いしどうせなら晩飯食べていこう。どこか入って待ってて』とメッセージが入っていた。ウホ、シュンからのお誘いですよ奥様!
デュフフという気持ち悪い笑いを口の中で噛み殺してビル内をぷらぷら歩いていれば、唐突に背後から声をかけられた。
「あれ? もしかして周藤?」
振り返れば、大学生らしき男が俺を指差して立っていた。下から順番に見上げていく。履き古したスニーカー。ヨレヨレのジーンズ。のびたTシャツ。大きすぎる黒縁の眼鏡。吊り目気味の三白眼。寝癖がそのままのくしゃくしゃ髪。見覚えがある、ありすぎる。高校の頃毎日一緒に萌えを分かち合った心の友、木村だった。
「うおおお! 木村じゃねぇかあああ!」
「そのテンションはまさしく周藤!」
勢い良く駆け寄ってその手を握る。俺たちは同盟を組む敵国同士の将軍よろしく、顔の前で熱く握手をかわした。
木村は俺の大事な大事なオタク友達だ。高校時代は毎日学校で熱いオタク議論をかわしたものだ。アニメやゲームにかまけてばかりで全然勉強していなかった俺とは違って、頭の良かった木村はそのまま地元の有名な大学に進学した。だから地元から遠く離れたこんな街に居るはずはないのだが。
「なんでこんなとこに居るわけ?」
「よくぞ聞いてくれたッ」
木村は手に持っていた紙袋をゴソゴソやると、中からこのビル内に入っている某アニメショップの青い袋を取り出した。袋から取り出され高々と掲げられたのは、なんと! 俺が神作品と崇める『戦国おとめ☆てんちゅーファイブ!』の新作DVDじゃないですかああああ! 無論。わが嫁小早川春ちゃんの出演作品である。
「木村、お前もか……!」
「なにっ。まさか周藤、お前も……!」
「おうよ! 保存用と観賞用の二本をゲット済だぜ!」
「またしても同じ作品にハマるとは!」
ああ、もう。いっそ抱擁したい気分だ。妙なテンションで大声を出し合う俺たちを通行人たちが奇異の目で見ているが、気にしない。久しぶりにオタクトークができる相手と出会えたのだから。
「でも、わざわざDVD買いにここまで来たのか?」
「えぇっ! 周藤オマエ知らないのか?」
木村は大袈裟に驚いてみせると、青い袋の中から別の商品を取り出す。それはラバーストラップだった。『戦国おとめ☆てんちゅーファイブ!』のメインヒロイン、武田らいらちゃんの二頭身キャラだ。
「今ココで新作買うともらえるんだぞ」
「えっ、ええええええ!」
周藤貴也、なんという不覚……! 普段からDVD等の公式グッズはネットのほうが格安なので、ネットショッピング派だった。店頭オマケだなんて……。なんで情報チェックしてなかったんだ俺のばかばかばか!
と思ってふと気づく。最近はそれどころじゃなかったからだ。あんなことやこんなこと、要するに、主にシュンのことで頭がいっぱいだったからだ。こ、この俺が公式情報のチェックを怠るほどに我を忘れさせるなんて、川住春、恐ろしい子!
「うちの地元にこのショップないだろ? ちょうど今日大学の授業なかったし、わざわざここまで買いに来たってわけ」
「なんと……」
嫁出演作品の最新情報をゲットできていなかった自分の不甲斐無さに打ちひしがれつつ、木村の相変わらずのオタクっぷりに癒される。高校時代から何も変わっていない。
「なあ今ヒマなの? ちょっと話そうぜ」
「人を待ってるところだから、まあ来るまでなら」
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